Date:2009/06/30 21:34
しんぶん赤旗日曜版の連載小説といえば、早坂暁『花へんろ』、山本一力『くじら組』、そして先日完結した、あさのあつこ『グラウンドの空』と、日曜版読者だけに読ませておくのは勿体ない(と言ったら怒られるか!?)力作・秀作揃いですが、来る7月5日号からは、あのNHK大河ドラマ『天地人』の原作者・火坂雅志さん作の時代小説
『業政(なりまさ)駈ける』
が始まります!!
【グラフィック解説】
左:信長の野望・革新の顔グラ、
右:諏訪原寛幸氏作画のイラスト(信長の野望・革新 武将FILEより)
紅星なんぞのような戦国武将フリークからすれば、
『おお!あの業正(業政のことネ)かぁ キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!』
と狂喜し、今から連載開始が待ち遠しいのですが、そんな奴は多分 重度の『信長の野望』中毒患者ぐらいの者で、圧倒的多数のJCP党員および日曜版読者は、
『業政?誰、ソレ??? ( ゚д゚)ポカーン』
状態だと思うので、この場をお借りして、『上州の黄班(=虎の意)』長野業政の紹介をさせてもらおうかな、と。
(まぁ、業政は一昨年のNHK大河『風林火山』にもチラチラ出ていましたので、意外と知っている方もいるかも知れませんが・・・)
とは申せ、流石に一から業政の事書いていこうとすると骨が折れるので、適当に手抜きしまして、Wikipediaの記事をアレンジして・・・という事でご容赦のほどを。
さて、業政(信長の野望では『業正』)こと長野業政は、上野国(現在の群馬県)に1491年(1499年説も)箕輪城主長野憲業(または長野信業)の子として生まれた・・・と、何やら生年や父親の名はあやふやなようですが、とにかく、平安の六歌仙の一人でイケメンだったと伝わる在原業平の裔とされる長野家に生を受け、関東管領・山内上杉家に若年より忠節を尽くしていたようです。
業正は歴代長野氏の中で特に武勇に優れた武将であり、また義理堅い人物であったと伝えられていて、盟主であった上杉憲政が北条氏康に敗れて上野を追われた後も、上杉家に義理を立て北条氏には従わなかった気骨の将でした。
子沢山だったようで、娘を上野の諸豪族に嫁がせることで団結力を強めるなど、政略にも優れていた智勇兼備の名将であり、憲政が越後に去った後も上野国の支配を北条家・武田家に手渡すことはありませんでした。
長年てこずってきた信濃の猛将・村上義清を真田幸隆の計略で攻略し越後に追いやって信濃支配を固めた武田信玄が、1557年から上野西部に侵攻して来ると、業正はただちに上野国人衆を糾合して2万余の大軍を編成。瓶尻において迎え撃ちましたが、緒戦で武田軍を圧倒しながらも諸将の足並みが揃わず、打ち負かされてしまいます。
しかし、ここで業正は殿軍を務めて度々武田軍の追撃を打ち払い、見事な退却戦を演じます。さらに居城・箕輪に籠城した業正は守りを固めて長尾景虎(後の上杉謙信)の後詰を請い、遂に武田方の侵攻を挫きました。
その後も鮮やかな手並みで防衛戦を指揮し、野戦には勝てなかったものの、夜襲・朝駆けの奇襲戦法を用い武田方の6回にわたる侵攻を全て撃退しています。 また、永禄3年(1560年)に上杉謙信がかつての主君・上杉憲政を擁して関東に侵攻してくると、これに応じて北条氏康と戦い、やはり撃退しています。
※余談ですが、彼の戦い方は上野の地形を利用した徹底したゲリラ戦であり、何か真田の戦術に似ているんですよね。後述の逸話のように、幸隆は一時期業政の客将として身を置いていたし、小豪族が大勢力を打ち破る極意を業政を師として学び、それにアレンジを加えて昌幸・幸村へと続く真田流軍学を作り上げていったのではなかろうか・・・?と紅星は思うのですが。
一説によると武田信玄は「業正ひとりが上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と嘆いたと言われ、彼の死を知ると信玄は大いに喜び、「これで上野を手に入れたも同然」と述べて、すぐに軍を上野に向けたとされます(その割には1回、後述の業盛にも打ち破られているんですけど)。
彼の幕下には、後に新陰流の開祖となる上泉信綱もいました。
永禄4年(1561年)11月22日(異説として6月21日)、病死。享年71。あるいは享年63。後を嫡男の業盛が継ぎましたが、死去する前、業盛を枕元に呼び寄せて、
「私が死んだ後、一里塚と変わらないような墓を作れ。我が法要は無用。敵の首を墓前に一つでも多く供えよ。敵に降伏してはならない。運が尽きたなら潔く討死せよ。それこそが私への孝養、これに過ぎたるものはない」
と遺言したといいます。(関八州古戦録)
【逸話】
真田幸隆(幸綱)は武田信玄の家臣となる前に業正に仕えていた。業正が年をとって長野氏が衰えてくると幸隆は信玄の家臣になろうと考えた。そこで、密かに脱走を試みた。脱走は成功したが、ある峠で業正から手紙をもらい驚いた。そこには、幸隆の身を心配した内容が書かれていた。幸隆の妻や家臣達も殺されること無かった。幸隆は業正の器の大きさを感じたという。
これは紅星の勝手な想像ですけど、もし甲斐の隣国である信濃・上野・越後に、村上義清・長野業政・そして長尾景虎(上杉謙信)が居なかったら、武田信玄の領土拡大はもっとスピーディーに進んで、武田政権も十分ありえたのではなかろうか・・・なんて思ったりもするんですよね。
そう考えたら、信玄って、すごいアンラッキーな武将なのかも (-ω-lll)。
・・・・以上、半分以上盗作かつウダウダと書いてきましたが、皆様にも、業政が如何に隠れた名将であるか知って頂けたでしょうか??
このような名将を、あの火坂さんが描く。これは期待大ですよ!
歴史小説好き、火坂作品のFANの方でまだ赤旗日曜版の読者でない方、この機会にぜひ日曜版の購読をお薦めしちゃいます!!!
(・・・って、結局、日曜版の勧誘記事かい !!!(# ゚Д゚) )
と、オチがついたところで、今宵はここまでにしとうございます・・・・
(って、この元ネタ覚えている人居るんかい!?)
したっけ☆
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この記事に対するコメント
そうか、しんどかったね。
丈夫そうな私だって、いろいろあるもん。
はじめまして、黒蟻と言うものです。
単行本発売っす。