Date:2008/09/23 23:23
2ヶ月も前の話を今さら、という気もしますが・・・
7月の22日から24日の3日間、紅星の職場であるMINSHOの事務局員交流会(西日本ブロック)が広島市であり、参加してきました。
交流会の内容は、中小業者の営業・くらしが破壊されるなかでのMINSHOの役割と、その組織者である事務局員として地域にどういう民商を作り上げていくかというのが主題でしたが、事務局を続けていくなかでの悩みなどについても分散会では盛んに出されていました。
内容については諸般の事情で割愛させていただきますが(別に変な謀議を巡らせていた訳じゃないのであしからず)、紅星としては会場が広島市ということで、会議以外のところで心惹かれるものがありました。
広島といえば、 『ヒロシマ』。
実は紅星は、大学時代に広島市で行われた原水爆禁止世界大会に参加したことがあったのですが、台風でJRが止まって遅れて参加するわ、肝心の大会の内容がすっかり思い出せないわ、8/6は飛行機のチケットの関係で広島の原爆関連施設を見ること無しに実家に帰ってしまったという状態で、広島に行った意味がなかったことをずっと悔やんでいたのです。
そんな事もあり、今度のこの機会こそ、原爆ドームなどを直にこの眼で見たいという想いをもって広島に向かいました。
交流会初日22日は夕方から四国四県の事務局の懇親会と、その後の2次会で午前様になり、結構酒も入ったのですが、酔いの回った頭で必死に「明日は5時半起き!」と気合いれて、いつもは8時過ぎまで寝てるほど朝弱いのに、きっちり5時半に起きて、朝の広島市街に向かいました。
この日(23日)の目的地は原爆ドーム・平和公園・原爆の子像・峠三吉詩碑など。
広島市街を歩くのは全く初めてのことで、ちゃんと目的地着くのか些か不安でしたが、ホテルから電車路線に沿って歩く事15分、相生橋および原爆ドームに到着。

原爆ドームに直に相対したとき、何か刻が止まったような、この場所で瞬時に消えた人達の霊気が未だ留まっているような感覚になりました。
手を合わせてから写真を撮らせてもらいましたが、熱で曲がった鉄骨、灼けた外壁、崩れ落ちたままの瓦礫・・・写真や本で知ったつもりになっていましたが、実は何も知らなかったんだと痛感させられました。

動員学生の碑を見たのち、元安橋を渡って平和公園へ向かいました。

公園内で最初に行き着いたのは『原爆の子』像。数年前に折鶴が燃やされるという心ない悪戯がありましたが、この日も朝早くから訪れる人が目立ち、多くの折鶴が寄せられていました。

8月6日の広島原爆忌に中継がある原爆慰霊碑前では、散歩の人?が次々と手を合わせて絶える事がありませんでした。
平和公園をぐるりと回って相生橋まで戻ってきたところで、「あれっ、峠三吉碑ってどこだっけ!?」と気づき、慌てて慰霊碑近くまで戻ったところで、ひっそりとある峠三吉詩碑と、被爆アオギリを見つける事ができました。


と、この時点で時計は7時少し前。大慌てでホテルへと一目散・・・のハズが、何と途中で軽く道に迷ってしまうというハプニングに見舞われ、帰り着いたのが7時半。汗だくだったので汗を拭いてから着替え、何とか朝食の時間に間に合いました。
朝9時から16時まで交流会の討論に参加したのち、18時半ごろから香美郡・須崎MINSHOの人達と広島名物お好み焼きを食べに行きました・・・が、これが後から見たら間違い。

お好み焼き、流石美味しかったんですが、一緒に行った女性陣は半分も食べられない。『出されたご飯は残さない!』がモットーの紅星は自分のほか約2人分のお好み焼きを平らげましたが、店を出るときは腹がパンパンに膨らみ、フーフーと肩で息をする始末。
教訓。 『広島風お好み焼きは、晩ご飯に食べるもんじゃない、
昼におなか減っている時に食べるべし』
そのくせ、うちの局長ってば、「広島まで来て美味しいもの食べずに帰るのは悔しい!」と、前日タクシーの運ちゃんに紹介されたとかいう居酒屋さんに行こうと言い出して、そこで仕切り直し。
人気のお店らしく人が多く、店員さんも愛想良く「今日は良い魚が入ったんですよ」と勧めてくれるんだけど、その美味しそうな魚を前に、こっちはお茶漬けやら漬物やらメザシやらしかお腹に入んない。
美味しかったですけどね、メザシ。
「今度広島に来る時には、最初からここに来よう!」と一同、リベンジを誓った事でした。
さて、ホテルに戻ってベッドの上に寝転がり、「明日の朝は広島城でも見に行こうかなぁ・・・」などと考えていると、ふと、「あれ、何か忘れていないかい?」と心にひっかかるもんが。
暫し黙考し広島、ヒロシマと唱えていると・・・。すっかり忘れてた、映画『夕凪の街 桜の国』に出てくる原爆スラム跡の『アカシア』を見に行こうと考えてたんだ!と思い出した。実は出発前日まではハッキリ覚えていたんですが、どういう訳か当日になって忘れてしまい、場所も調べんづつ広島に来てしまった次第。
慌てて携帯使って検索を始めたのですが、どうも要領が得ない。と、記憶の片隅に『基町ポップラ通り』で『夕凪の街−』関連のイベントが行われた記事が残っており、検索かけたら、見事にビンゴ!広島城の東、太田川岸が『基町ポップラ通り』で、かつ映画や原作の舞台となった原爆スラム『相生通り』の跡地でもある事が分かりました。分かったら急に睡魔が襲ってきて(この日も結構お酒入っていたので)、そのまんま寝ちゃいました。
それでも人間、目的があったらちゃんと起きられるもんで、翌朝5時にはホテルを出発、まずは広島城へ。
広島城前の道路は何と横断歩道がなく、地下通路を探し当てるまで若干難儀したけど、何とか5時45分ごろにはお城に到着。

二の丸跡から中へ入り(お堀には『鯉城』というだけあって鯉がウヨウヨ)、横目に護国神社や広島大本営跡を睨みながら広島城天守前に行き、そこで写真撮影。時間が限られているのと、存外敷地が広かったのとで、広島大本営跡の奇妙な集団に首を傾げながらも城を後にし、お堀の外からさらに数枚撮影して『基町ポップラ通り』へ急ぎました。
太田川岸の『基町ポップラ通り』は、その名の通りポプラの並木道になっており、朝ジョギングの人で賑わっていました。
到着後、アカシアの木は・・・と捜すと、草一面の中にポツンと一本の木が。

近づいてみると『ニセアカシア』の表札。これがあの映画に出てくるアカシアの木かと思うと何やら感慨深いものがありました。

この木もぐるりと周りを一周しながら数枚写真に収め、ふと時計を見ると6時半。ちょっと時間あるかと判断し、この日も再度原爆ドーム近くを散策して帰りました。
この日は交流会の最終日で、昼まで全体会に参加後、高知組は一路瀬戸大橋を経由して高知に戻ってきて、中村の2名は須崎から民商カーに乗り換えて、夜7時半にやっと自宅に帰り着きました。
交流会そのものも良かったですが、2度目の『夕凪の街』は、今度はしっかりと記憶に刻み込まれ、また来たいなという想いが残りました。
出来れば次は原水禁大会で、平和資料館や他の原爆史跡めぐりもしたいなと考えていますが、さてどうなりますやら。
ところで、さっき広島大本営跡に妙な集団がおったと書きましたが、若い兄ちゃん姉ちゃんが、ある者は地べたに座り、ある者は立ったまんま虚空を見上げて瞑想するような感じで、大本営跡の礎石にはまるで結界でも張るかのように腰掛けて瞑目していました。

どうみても尋常じゃない感じ。新手のカルトなのか、それとも明治帝の威徳を偲ぼうとする右派の人達か・・・後者なら別にそれはそれで構わんけど。今でもこの奇妙な集団が気になって仕方ない紅星ですが、誰かお詳しい方おいでませんか?
以上、最後は何か気味悪い終わり方になっちゃいましたが、今宵はこの辺で☆
追記:漫画版および映画『夕凪の街 桜の国』については、昨年下のような記事を書いてみました。興味持たれた方は、そちらも是非ご覧下さい。
終戦の日の『夕凪の街 桜の国』その1−永く後世にまで読み継いでもらいたい『漫画文学』−
終戦の日の『夕凪の街 桜の国』その2 映画を見ての感想−『皆実』と『七波』をつなぐ『京花』−



この記事に対するコメント
夕凪の町桜の国
原爆が、、明らかな意図をもって落とされた、
大量殺人と、破壊、連綿と連鎖する被害、、
そのことを静かに伝えてくれる よい作品でしたね。