1月24日は中村(現四万十市)の生んだ社会主義思想家の先達・幸徳秋水氏が、いわゆる『大逆事件』で刑死した日で、毎年この日には中村山手通にある秋水氏の墓所で墓前祭が行われます。
加えて、偶然なのか狙ったのか分かりませんが、夜にはJCP(日本共産党)幡多地区委員会の党旗びらきも行われました。
この記事では、その2つの催しに参加して思ったことなど書き連ねてみます。
まず、秋水墓前祭から。
今年は土曜日、加えて、いつもにも増して晴天なれど寒気厳しい中での98回墓前祭で参加者の人数が心配されましたが、何と80名、去年より多く、地元幡多地域だけでなく、高知市や、遠くは大阪、千葉からも参加された方がいるなど、年々催しが認知されつつあるなと、秋水FANの紅星としては嬉しく思いました。
ただ、昨年は参加があった民主党の人が今年は欠席だったのは残念でしたが(政党では日本共産党と社会民主党の代表が献花をしました)。

《以下、高知新聞1/25付朝刊 25面より引用》
秋水の遺徳 後世へ
四万十市 命日に墓前祭
【幡多】四万十市出身の社会主義思想家で、大逆事件の首謀者として処刑された幸徳秋水(1871−1911年)をしのぶ墓前祭が24日、同市中村山手通の正福寺で行われ、約80人が遺徳をしのんだ。
秋水は現在の同市中村京町に生まれ、自由民権運動に傾倒。1903(明治36)年、平民社を創設し、平民新聞を創刊。日露戦争に対し非戦論を展開した。明治政府の左翼弾圧が進む中、明治天皇暗殺を企てたとして処刑されたが、その後の研究で事件への関与を否定する見方が強くなっている。
墓前祭は「幸徳秋水を顕彰する会」(北沢保会長)が命日に毎年開いている。北沢会長は「戦争放棄を宣言した日本国憲法を蹂躙(じゅうりん)し、憲法改正をもくろむ軍拡路線はやまない。自由・博愛・相互扶助の思想を前面に、さらなる活動を続けていこう」とあいさつ。参列者が次々と献花し、非戦と平和を誓った。
同会は再来年の刑死100年に向け今年中に記念事業実行委員会を組織し、記念講演などの準備を進める予定。
《以上、引用終わり》
墓前祭終了後、いつものように右城松風堂(うしろしょうふうどう)に寄り、『秋水餅』を買って帰りました。

さて、もう一方のJCP幡多の党旗びらき。
会費がちょっとナニなので、参加者は少な目だったのが残念ですが、村上信夫高知3区予定候補、笹岡優四国比例候補、田頭県議および、この日正式発表となった後継の岡本和也市議の決意表明、そして4月に迫った四万十市長選挙で共産・社民・民主三党の統一候補となる田中全さんの来賓あいさつで、参加した一同、選挙で勝利しようと士気が大いに高まった催しとなりました。

《しんぶん赤旗1/27付中四国のページから》
党・後援会 各地で集い
高知・四万十市 苦境打開共に
高知県の日本共産党幡多地区委員会(大西正祐委員長)は24日、四万十市で新春の集いを開き、100人が参加しました。
笹岡まさる衆院比例四国ブロック候補と村上信夫衆院高知3区候補は「国民を苦しめる根っこにあるアメリカと大企業にズバリものが言える政治をつくっていきましょう」とのべました。
4月の四万十市長選挙に立候補を予定している田中全氏(56)が「小泉内閣の『構造改革』で、地方が大変厳しい状況になっています。四万十市の基幹産業である一次産業を振興させ、市民の命と生活を守る市政を日本共産党の5人の市議団とも共同して実現します」とあいさつしました。
席上、日本共産党の田頭文吾郎県議(四万十市選挙区=8期)が今期で引退し、次期県議選挙に四万十市議の岡本和也氏(53)が立つことが紹介されました。田頭県議は「幡多地域唯一の革新の議席を、岡本さんに引き継ぐために、全力を尽くす」と語り、岡本市議は「四万十市のみなさんや幡多地区委が守りつづけた田頭さんの議席を必ず守る」と決意をのべました。
久保知章三原村長の音頭で乾杯して、懇談しました。
(以上、引用終わり)
ただ、ここで実に残念だった事が一つ。それは何か?というと、
偶然とはいえ、せっかく秋水墓前祭と日を同じくしたのだから、『秋水の非戦・平和の精神を引き継ぎたたかおう』ぐらいの事は地区委員長にいってほしかったなァ・・・
ってコト!! 密かに期待していたんですけどねぇ・・・
で、紅星が特に感慨深くこの2つの催しに参加したのには、実はもうひとつ理由があるのですよ。
それは、
『日本共産党』の名付け親が、他でもない幸徳秋水氏だから
なのです。
もっとも、正確には幸徳秋水氏と堺枯川(利彦)氏の2人が名付け親、なのですが。
ここで「ちょっと待て、1922年の日本共産党結党時には秋水は死んでいたし、1年前の1921年に、先に中国『共産』党がつくられているじゃないか」と言いたい人もいるでしょう。
確かにその通り。ですが、K・マルクス&F・エンゲルスの歴史的共著『Manifest der Kommunistischen Partei (英名 The Communist Manifesto)』を東洋で初めて訳し(但し訳した原著はサミュエル・ムーアの英訳版 The Communist Manifesto でしたが)、漢字表記で『共産党宣言』と名付けたのが秋水氏と枯川氏なのです。
漢字なので『共産党』という単語が中国から渡ってきたと思っている人が多いかも知れませんが、ここをご覧になられれば一目瞭然、こと『社会主義』や『共産主義』などのいわゆる左翼用語は『和製漢字』であり、それがアジアの他の漢字使用圏に伝わったのが事実なのです。
※中国『共産』党が日本共産党より先にできたのは、日本より中国(当時の清−中華民国)の方が法的・地理的に活動しやすかったからではないかと考えています(あくまでも紅星の私見なので、異論があったらお願いします)。
よく『日本共産党という名前が良くない。改名したら?』という善意のアドバイスをいただきますが、秋水氏と枯川氏が『共産党』という名に込めた想いに想像を巡らすと、
中国『共産』党やソ連『共産』党によって散々汚されてきた『共産党』の名前を、皆に信頼される党名にするのが、秋水氏の郷里である高知・幡多のJCPに課せられた責務なのではあるまいか?
大袈裟だけどそう思うし、その想いを常に持ち続けて活動を続けたいのです。
昨年から『派遣切り』などに関連して小林多喜二の『蟹工船』が読まれ、ついには流行語に『蟹工』が選ばれるまでになり、年が改まってもムーブメントは続いている感がありますが、以前当ブログで紹介させていただいた『凄惨の声』などに代表されるように、秋水氏は今から100年以上も昔に、日本の資本主義の矛盾を鋭くえぐり、告発しています。
秋水氏を「過激な無政府主義者・直接行動主義者」などと断じ、過去の人扱いする論調もたまに散見しますが、氏の考え方は今風にいうならば
『政党や議会だけではなく、問題意識を持った人間が自主的に集まって組織(NPOやNGO、労組や各種団体)をつくり、世論を喚起しつつ行動し、それによって世の中を変えていくことにこそ力を尽くすべきだ』
ということであり、時代遅れどころか、まさに今の世界の、大衆運動による変革を予見した慧眼の持ち主であり、もっと世界的に評価されてもおかしくない人物であると紅星は確信しています。
それがゆえに秋水氏は明治政府から目の敵にされ、ついには刑場の露と消えた訳ですが、彼が平民新聞で世に訴えた非戦主義・平民主義・社会主義の理念は、盟友・堺枯川に引き継がれ、さらには1922年結党の日本共産党に受け継がれているのだと思うのです。
さて、秋水氏が社会主義協会の講演で度々訪れ、「ここは社会主義運動の有力な拠点となる」と手紙に記した北海道・小樽でも、秋水氏の死後も社会主義運動の『種火』は脈々と受け継がれました。
“その『種火』が、やがて小林多喜二や小熊秀雄などといった『焔(ほむら)』となって、さらには現在の小樽の平和・革新の運動へと繋がっているのではないだろうか・・・”
先日の里帰りで小樽文学館を訪れ、その翌日多喜二ゆかりの地を探訪した時に浮かんだ想いです。
縁あって小樽と幡多を故郷(さと)とし、さらには秋水氏が名付け多喜二が死を賭して守り抜いたJCPの(不良ではあるけれど)党員として、せめて秋水氏と多喜二に恥じない生き方をしたいなァ・・・などと、旗びらきの美酒にしこたま酔いつぶれながらも決意を新たにした事でした。
幸徳秋水氏関連の過去エントリー一覧です。良かったらお読み下さい☆
秋水の郷で、『非戦』を誓う。 (06.01.24)
多喜二と秋水 (06.02.20)
今日はブログ開設1周年と秋水さんの96回忌 (07.01.24)
秋水さんの文章が面白い Σd(ゝ∀・) !! (08.03.03)
週刊平民新聞論説から☆☆創刊号『宣言』、『発刊の序』☆☆ (08.03.04)
やっぱり秋水さんの文章は Σd(゚∀゚) スゴイッ!!
“凄惨の声” いまだ止まず (08.09.07)
・・・最後にお断り。この記事は、実は2/12に書いた記事だったりします・・・(後追い書きで失礼しました)



この記事に対するコメント
秋水が草葉の陰で泣いている
こんにちは。名は体を顕わすものです。共産党は、命名した当時は「天皇制打倒」「プロレタリア独裁」を掲げてたはずです。今は違うでしょ。象徴天皇制容認であり、プロレタリア独裁も完全否定している。それで「共産党」は、共通語として通用しませんよ。コミュニズム=プロレタリア独裁が、全世界に於ける一般的な理解だもの。いや、それはあくまで全世界に於ける一般的な理解であって、日本共産党の理解は違うと言い張るのは、牽強付会で見苦しい。ここは、土佐っぽ幸徳秋水の末裔らしく、すっぱり未練を断ち切って、その精神『政党や議会だけでなく、問題意識を持った人間が自主的に集まって組織をつくり、世論を喚起しつつ行動し、それによって世の中を変えていくことにこそ力を尽くすべきだ』により相応しい、「日本共生党」に改名しましょう。根源的な国家の在り方に関する考えを改めたのだから、党名も改めるのが、道理だ。道理に背いては、一大の革命家を草葉の陰で泣かせることになりましょう。名を改めても継ぐべき精神を受け継げばそれで好し。幸徳秋水は、名如きに恋々するしみったれではありますまい。