意を同じくする、高知新聞『チベット動乱50年』社説

 チベットの僧侶のデモを中国政府が『暴動』とし、武力鎮圧した事件から1年が経ちます。また、今日は『チベット動乱』からちょうど50年になるそうです。

 紅星は昨年、事件から遅れること2週間後にはなりましたが、関連記事『真の友人なら、忠告しなければいけない時がある』をエントリーし、チベット情勢に対する考えを述べさせてもらいました。

 それから今日まで、様々な報道や情勢の推移がありましたが、今でもやはり、あの事件は中国政府に非があると考えています。


 さて、一昨日高知新聞を何気なく読んでいると、『チベット動乱50年』という題の社説が掲載されていました。

 読んでみると、紅星の考えにほぼピッタリ一致するものがありましたので、高知県以外の方にもこの社説をぜひ読んでもらいたいと思い、今回ここに引用させていただく事にしました。

《以下、引用はじめ》

【チベット動乱50年】大国にふさわしい人権を
2009年03月08日08時25分

 一九五九年三月、中国チベット自治区のラサで大規模な武装蜂起が起こり、ダライ・ラマ十四世がインドに亡命した。その「チベット動乱」から今年で五十年になる。
 だが半世紀の時をへても、中国とチベットとの対立構造はほとんど変わっていない。わずか一年前、ラサで起きた僧侶らによる大規模なデモが武力鎮圧され、世界に衝撃を与えた。
 最初の動乱当時、中国は人民解放軍をチベットに進駐させ、五一年にチベット側と協定を締結。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマの地位を保証し、政治制度の変更もないとしていた。しかし、中国側の社会主義改革が本格化するにつれ、市民の不満は募り、衝突が頻発した。
 チベットは六五年に自治区になったが、文化大革命中は寺院の破壊など「漢化政策」が徹底された。漢民族の自治区進出もいっそう進んだ。
 そして動乱から三十年目の八九年三月、独立要求の高まりとともに、再びラサ暴動が発生、戒厳令が敷かれた。そのとき自治区トップの党委書記として武力鎮圧に当たったのが、現在の胡錦濤国家主席だ。皮肉な巡り合わせというほかない。
 今年も節目の年だけに、緊張が高まっている。五十年前の三月十日は、多数の市民がポタラ宮周辺に集結し、軍との衝突に発展した日だ。
 昨年のデモの鎮圧は、夏の北京五輪を前に世界の批判を招いた。このため中国政府は現在、さらなる治安強化という「ムチ」と、多額の財政支出による市民生活の向上策という「アメ」の両面で自治区に対応している。
 これに対し、ダライ・ラマ側は、言語などの「中国化」などにより、チベット固有の文化が消滅することを恐れている。こうした中で、チベット人と漢民族の間に不信や憎悪の感情が静かに広がっているとも言われる。
 北京五輪と前後して、中国政府とダライ・ラマ側との対話が数回行われたが、実りなく中断している。中国は相手を「分裂主義者」と決めつける、かたくなな態度を和らげることが必要だろう。要求は昔の「独立」ではなく、「高度な自治」だ。
 いずれにせよ「力」で押さえ込むのではなく、対話をより深く続けてゆくしかない。中国経済の存在感は大きくなる一方だが、世界は大国にふさわしい人権意識にも注目している。


《以上、引用おわり》

 『社会主義建設』の名のもと人権を抑圧する自称『社会主義国』より、不完全ではありながらも『人権』に配慮しつつ国の運営を進める、北欧や西欧などの『資本主義国』のほうが何ぼかマシではなかろうかと思います。

 否、幸徳秋水氏や田添鉄二氏ら、明治期の社会主義者が百年前に平民新聞で世に問い、当ブログで幾度も主張しているように、『自由』『平等』『博愛』から外れたところに、『社会主義』『共産主義』は存在し得ないと考えるのです。

 国家の抑圧から人民を解放するのがコミュニストの最終目標ではなかったのですか?

 中国政府が「我が国は社会主義国である」というならば、また、『中国共産党』が『コミュニスト』を名乗るならば、即刻チベット抑圧などという真似は止め、彼らの求めるところの『高度な自治』を保証すべきです。

それができないなら、直ちに『中国共産党』は『コミュニスト』の看板を外し、『赤旗』を降ろせ!といいたい。

日本共産党も、かつて孤高と揶揄されながらもそうであったように、『中国共産党』に対して意見すべきときはガツンと言うべきではなかろうか?

何か最近の『赤旗』に出る党中央の対応を見ると、たまにそんな歯痒い思いに囚われてしまいます。






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