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反貧困カルテット『YAMA』が動く!~その1~

 今回は、今、紅星が勝手に
反貧困カルテット『YAMA』
と呼んで注目している、4人の『反貧困』活動家について書いてみたいと思います。

 この『YAMA』という呼び名、それぞれの『苗字』の頭文字を並べたら偶然こうなったのですが、“反貧困”という『山』を動かす活動をされている4人にふさわしい名ではあるまいか!?と思っている次第。

 当初は一回の記事で4人分書こうと思っていましたが、ざまに長い記事になりそうだったので、4回シリーズで行こうと思いますのでよろしく。


さて、一人目の『Y』は誰か、といいますと、
湯浅 誠さん
湯浅誠さん(ダイアモンドオンラインから借用)
ダイアモンド・オンラインから借用】

です。

 この方は先の年末の『年越し派遣村』の村長として、一気に知名度が上がった感がありますが、その前も、その後も、コツコツと『自立生活サポートセンター・もやい』の活動をされつつ、反貧困問題への鋭い分析と、政策提言を行っておられるすごい方だと思っています。

 湯浅さんは3/5・6日付の『しんぶん赤旗』、『シリーズ現代の視点』にインタビュー記事を載せていますので、この場を借りて紹介させていただきます。

《以下、引用はじめ》

『反貧困』の著者 湯浅 誠さんに聞く

「年越し派遣村」が教えたもの(上) 自己責任論と決別のとき

反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さん(39)は、日本の貧困問題にどう立ち向かうかについて、貧困状態に追い込まれた人々と日々接する目から、『反貧困』(岩波書店)を著し、2月、大佛次郎論壇賞を受賞しています。また年末から年始にかけて、派遣労働者の「派遣切り」「雇い止め」に対応した「年越し派遣村」の村長も務めました。

公的なネットは何も効いてない

-日比谷公園の「年越し派遣村」には500人を超える当事者が「入村」し、社会的に注目されました。

湯浅 はっきりしたのは非正規の人たちがいかに危なっかしい綱渡りをしてきたかということです。これまで仕事がたまたま続いていたから生きていたに過ぎなかった。それが「派遣切り」されると一気にホームレスに転落する、公的なセーフティーネットは何も効いてない。「派遣村」のことがわーっとメディアなどで伝えられることによって、こんな現実なんだと、社会がわかったことは大きい。

-村に来た人は実にさまざまだと聞いています。

湯浅 ものすごく低い確率で偶然が偶然を呼ぶ感じでたどり着いた人がとても多い。ということは来た人と来ていない人の間に何の違いもない。来た人はラッキーだったね、とアパートに入り、来ていない人はいまだに路頭に迷っている。それはすごく理不尽なこと。ラッキーかアンラッキーかで生死が分かれる社会だし、人生がばくちのよう。そういう社会を見直す時期です。

-課題はありますか?

貧困の議論をと書いてから2年

湯浅 「派遣村」でのことが、年末年始の特別な時期に特別な現象が起こって特別な対応をしました、以上終わり、というふうに、収まってしまわないかということです。しかし、派遣社員の契約がいっせいに切れる3月にまた起こるし、3月で終わるわけではない。あの時点からどう運動を積み上げていくか、あるいはゼロに戻るのかという、今年はちょうど分かれ道だと思うし、それは私たちにとっての課題です。

-反貧困の旗を掲げてどれくらいたちますか?

湯浅 2年以上になります。貧困が目に見えるようになるという点では隔世の感があります。「格差ではなく貧困の議論を」という文章を書いた2006年のころは、誰も貧困のことをいわないじゃないかという気持ちでしたが、それ以降、ものすごい量の報道がされ、学生がワーキングプアのリポートを書いたり卒業論文を書くという話を講演先で聞くようにもなりました。問題そのものが社会全体に共有されてきている。

-『反貧困』で、貧困に至る背景に自己責任でなく、「五重の排除」(教育課程からの排除、企業福祉からの排除、家庭福祉からの排除、公的福祉からの排除、自分自身からの排除)を指摘し、日本社会は、一度転んだらどん底まで落ちる「すべり台社会」と書いています。

ヨーロッパとは違う野宿の原因

湯浅 そういう認識が生まれたのは、野宿の人たちと一緒に活動してきたからです。なぜ野宿になっちゃうのか、いったいそれはどういう状態なのかを考えていったら、それが見えてきた。すべり台社会もそう。もともと日本の野宿の人たちは失業が原因です。このことはヨーロッパでホームレス支援をやっている人が日本に来ると驚く。なぜ日本では健康な男性たちが野宿しているのかと。ヨーロッパでは失業しても公的なセーフティーネットがあるから、働き盛りといわれる男性たちは失業だけが問題で野宿になっていない。だけど、日本に来ると野宿になっている。しかも年齢が40代後半から50代の人たちだ。それは彼らにとって異様な光景なのです。その異様さは日本にいるとわからない。でもそれは説明できることです。40代後半くらいから、もうあなたはいらないと建設現場で言われた後、60歳を過ぎないと福祉の窓口も開かない。労働と福祉の狭間に落ち込んで野宿になってしまう。今回の「派遣切り」の被害者がストンとホームレスになるのと、まったく同じなのです。

-自己責任論の弊害について、貧困を生み、かつ当事者を呪縛し、問題解決を遠ざけると、本でも主張しています。

「自分が悪い」と痛々しいほどに

湯浅 自己責任論とはもういいかげん手を切る時期でしょう。そうしないと社会全体の地盤沈下が止まらない。99%といってもいいかもしれませんが、野宿者のみんなが、野宿になったのは自分が悪かったと言うし、私が所属するNPO法人自立生活サポートセンター「もやい」に相談に来る人たちも、食べて行けなくなったのは自分たちのせいだと。現場で対応していると、それはもう痛々しく、やりきれない思いをずうっとしている。なぜそこまで思っちゃうのか。甘やかす必要はないと言っている人も含めて、結局人を頼ってはいけない、がんばっていれば貧困にはならない、と言われてきたし育てられてきたからです。そういう今までの自分の考えと辻つまを合わせようと思ったら、当事者はそう思わざるを得ない。なので、そこはもう一回、一から人をつくり直すくらいでないと、なぜ怒らないのかと当事者に言ってみても解決しないと思います。

「年越し派遣村」が教えたもの(下) 企業の大きな社会的責任

-金銭に限定せず人間関係も含めた「溜め」を増やすことが大事だといっていますね。

「生きてていい」腹に落ちる場を

湯浅 溜めというのは、そこからエネルギーをくみ上げていく機能を持つもので、なにかやるときの自信になるとか、それがあればやれると思えるとか、がんばれるとか、ですね。私は、当事者が失った溜めを増やすために、居場所をつくるしかないと言っています。自分も生きていていいんだと腹に落ちる場所をつくる。誰かからそう言われなくても、ああ、自分も生きていていいんだ、と思う瞬間がある。それが来るのを待つか、そういう場所を用意できるか。たたかうためには、たたかわなくていい場所が必要です。本にも書きましたけど、「コーヒーポットとカップがあれば、居場所ができる」と。

-そのためには?

湯浅 人の溜めをみるためには、自分の溜めを自覚するのがまず一歩です。「あの人たち」ととらえるところから一回離れないと、何のために居場所をつくるのかもわからなくなる。そのことがわからないという人も家に帰れば、愚痴を聞いてくれる妻がいるわけですね。そういう溜めがある。そのことを自覚しないと、ああ、自分はそういうなかで生かされているんだということがわからないでしょう。

-非正規労働者にたいする「派遣切り」「雇い止め」など企業の責任が問われています。

法律をごまかし安上がりに雇用

湯浅 企業の責任は大きい。たとえば経営者報酬とか役員報酬などに手をつけたり、資産のうち、ここまでは売れるというふうにやっていくとか、そういう努力をしなければ、赤字転落だから派遣労働者を切って、正社員まで手をつけても仕方ないという話にまですっと行かない。今まで非正規労働者を法律をごまかした上に安く使うことで、史上最高の経常利益を上げ続け、内部留保もあるわけですから、その分は返してもらわないと辻つまが合わない。それとセーフティーネットのことです。セーフティーネットというとすぐ、政府がやるもので企業は関係ないという話になるけれど、セーフティーネットをつくるためには企業も相応の負担をしなければならない。税金を払っているからいいんだという話にこの大変な事態ではならないはず。その点、市民の方が先んじています。「派遣村」に多くの寄付が集まりましたが、その中でも出し惜しむ企業というのは何だろうか。企業の社会的な存在意義まで考えてしまいます。

-学生だった1995年に東京・渋谷の路上で野宿者の支援活動を始め、その後、生活相談や生活保護申請同行の支援活動や、生活困窮者といっしょに仕事起こしの活動もしています。

湯浅 やりがいを感じます。野宿の問題は、私が活動を始めた90年代半ばのころは新しい課題だった。「これをやったらどうだろう」と提案した時に「そんなものは10年前にやったけど、だめだった」という人はいなかった。だから道のないところに道をつくるように試行錯誤し、失敗もたくさんした。そうするうちに貧困が広がってきました。この事態にどう向き合うかが、、また新しい問題で、自分たちの活動の積み重ねから何が言えるか、何がやれるかを見つけながら、それを社会に訴えてきた。ちょっとでも状況が良くなるところがあれば、やっててよかったとなるし、やる価値がある活動だと思ってます。

-03年に大学院の博士課程を辞め、活動に専念します。

湯浅 研究って一人でやるものですが、活動は仲間がいて、みんな大変な中でやっている。研究は5年、10年で考えるものですが、現場は日々動く。明日はどうするかという時に、研究があるからとなかなか言えなかった。ただムダにはなってない。今は本を読む時間もないけど、研究のノウハウというか、基礎的な訓練を受けたことは、私の溜めです。それを活動に使うのは私の役割と思う。

-活動の原動力は?

こういう社会は“自分はいやだ”

湯浅 よく聞かれますが、社会の当事者としての怒りというか、「おれはこういう社会では生きていたくない」って、運動しているんです。「あの人たちのために何かやってあげましょう」という意識はない。私がいやだと。「人のため」という意識と比べたら、その方が楽だろうと思う。

-『反貧困』が論壇賞を受賞しましたが。

湯浅 私は論壇の人間ではないので気恥ずかしい。私みたいな社会運動家が論壇に首を突っ込むのと同じように、論壇の人たちが社会的なものに、どんどん首を突っ込まないとうまくないんじゃないか。「派遣切り」とかでも学者の記者会見があってもいい。若い人たちにたいして社会への働きかけが弱いとか聞きますが、そういっている人たち自身もそうだ。学者も市民としての責任を忘れないでほしい。
《以上、引用おわり》



 この記事を紹介しながら、改めて湯浅さんの洞察力と分析力の高さにただただ感嘆するばかりの紅星。なまじの経済評論家や議員センセイより、現場に立脚しているだけに“凄み”すら感じます。

 先日も春の『派遣村』に取り組まれたばかりと、まだまだ多忙の氏ですが、反貧困運動のオピニオンリーダーの一人として、これからも更なる活躍を切望するところです。 




以上、今回の記事はここまで。

さて、残りの“A”・“M”・“A”の3人って誰でしょう???
(『反貧困』運動に詳しい方なら「ああ、あの人たちかな?」とすぐにお分かりのことでしょうが・・・)

したっけ、次回もよろしく
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この記事に対するコメント

《なぜ、改革をするのか?構造改革の裏の主旨を疑うべきです》


●【経済財政政策担当大臣の竹中平蔵氏の論文、発言】
「所得再配分という名の搾取がまかり通っている。」「いまの社会システムは結局、困ったことがあったら人からもらえという社会なんです。『所得再配分』という制度を使って強奪を正当化するシステムなんです。」(『Voice』平成11年1月、7月号、PHP研究所)

●【経済財政政策担当大臣の竹中平蔵氏の論文】
「フロンティアの時代には能力がありかつ努力を重ねて高所得を得ている人々を讃える税制が必要だ。…中略… 最高所得税率水準としては当面40%程度を目指すが、その際、法人税率と同水準にするという点にもう一つのポイントがある。また将来的には、完全なフラット税、更には人頭税(各個人に対し、収入に関係なく一律に課せられる税)への切り替えといった究極の税制を視野に入れた議論を行うことも必要だろう。」『日本の論点'99(文藝春秋、1998年11月10日発行)』

●【総合規制改革会議、議長の宮内義彦氏の論文】
「所得税をさらに引き下げつつできるだけフラット化するとともに、相続税も引き下げることが望ましい。」
(『週刊東洋経済』2001年3月17日号)

●【経済財政諮問会議、議員の牛尾治朗氏の発言】
「(雇用の)流動化を図らなければならない。もはや働く側も終身雇用という意識はないだろう。終身雇用を求めるのは怠け者で能力、向上意欲がない人だ。」(2001年1月4日付中日新聞)

●【経済財政諮問会議、議員の本間正明氏の発言】
「日本の税率構造は国税と地方税を合わせ、従来の十五段階から昨年ようやく最高50%、最低5%の七段階になった。日本経済の活性化のために中堅層と高所得層でもう一段、税率の平準化を進めるべきだ。七段階を四段階にして最高税率は40%、最低は10%程度にするのが理想だ。」
「非常に少ない一部の人が高額所得を得ていることを一種の目標や活力の源とするように価値観を変えることが重要だ。」
「レーガン税制が社会の価値観を根底から揺り動かし大きな原動力になったのは確かだ。」(1999年11月1日付日本経済新聞)

○【小泉「市場原理主義」政権】
http://homepage3.nifty.com/nskk/kenkyu020.htm

●「格差が出ることは悪いとは思わない。成功者をねたんだり、能力のある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない」…小泉純一郎 第89代内閣総理大臣 世襲3世

●「『所得再配分』という名の搾取がまかり通っている」「完全なフラット税、人頭税を導入すべきである」「競争が進むとみんなが豊かになっていく」…竹中平蔵 元経済財政政策担当大臣 経済学者 パソナ特別顧問

●「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」…奥田 碩 元日本経団連会長 元トヨタ自動車会長

●「所得税をさらに引き下げフラット化するとともに相続税も引き下げることが望ましい」「パートタイマーと無職のどちらがいいかということ」…宮内義彦 オリックス会長 元規制改革、民間開放推進会議議長

●「非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」…三浦朱門 作家 元文化庁長官 元教育課程審議会会長

●「日本で払う給料は、間違いなく中国で払うより高い。労働者が、もの凄く安いコストで働いているというようには思わない」…折口雅博 グッドウィル グループ創業者 元経団連理事

●「派遣切り『社会が悪い』は本末転倒。『ロスジェネ』はただの言葉遊び。 http://news.goo.ne.jp/article/php/business/php-20090216-04.html 」…奥谷禮子 ザ アール社長 経済同友会幹事

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■政財界の有識者にならって労働者自身の努力が足りないと報道するマスコミ連中…。

○【2009年4月期有効求人倍率(パート雇用含む)全国平均0.46倍】
http://www-bm.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/koyou/ippan/2009/04/hyou6.html

○【求人は有り余る程あり売り手市場なのに労働者は「紹介される業種は不安定な仕事ばかり」と消極的】
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/090110/sty0901102118

○【甘えるな!!元派遣社員…仕事えり好み覚悟サッパリ。かつての厚遇に未練】
http://www.zakzak.co.jp/top/200901/t2009012736_all.html

■グローバル化によって国の枠を越えて製品が飛び交い、又、途上国との価格競争(産業の奪い合い、仕事(雇用)の奪い合い競争)にさらされ、世界各国で労働力が有り余り、失業が当たり前のグローバル化社会になりつつある。
今の政財界は、労働者に失業貧困の責任を押し付けているが、グローバル化によってでも、以前と変わらず、労働者層が皆雇用を得られ健全な社会生活を保っていられると思っているか?
グローバル化した社会では失業貧困が当たり前になります。それを無視し続ける政財界有識者の数々の見識のない発言に、えげつなさを感じます。

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■竹中平蔵氏の発言…「所得再配分という名の搾取…云々」「最高所得税率40%を目指す。将来的には完全なフラット税、更には人頭税(各個人に対し収入に関係なく一律に課せられる税)の税制を導入すべき…云々」
…此れでは、国の税収が極端に足りなくなり公共の社会福祉が破壊されます。もし人頭税を導入したら貧困労働者層への実質的な増税につながり、貧困が蔓延し福祉が滞る様な、もはや先進国とは言い難い日本社会になるのではないでしょうか。
労働をしない投資家や資産家富裕層を減税で増やし、投資や金融で高利貸し的に労働者層にたかり贅沢な暮らしをさせようとする事は、労働者層を悪戯に疲弊させ社会を衰退させる現象をもたらします。更に資本や金融投資に対して減税をすると大企業や資産家に円資産が極端に集まって経済構造が歪み、国内経済(GDP)が萎縮衰退してしまいます。
(格差の激しい途上国が国家としていまいち成長出来ない理由と同じ。富裕層が庶民の労働、生産エネルギーにたかり疲れさせて食い潰してしてしまっている社会。国民全体、庶民労働者経済の発展によっての経済大国の先進国になれず、搾取的支配によって富裕層が国家の成長を抑えてしまっている社会。)

【2009/06/27 21:59】URL | 匿名希望 #EBUSheBA[ 編集]

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