遅ればせながらの99回秋水忌記事と、『平民新聞』翻訳再開宣言。

 早く書かねばと思いつつ、2月も半ば。秋水忌からもう少しではや1ヶ月も目前となってしまった。

 完全に機を逸しつつ、こうなりゃもう開き直りよと腹括り、丁度14日が旧正月だったからだのと変な理屈をつけて、この中途半端な時期に敢えてアップすることにした。

 まずは、紅星が確認する限り唯一報道した(『赤旗』も報道したかも知れんが読んでない)、『朝日』の記事を引用。

 幸徳秋水氏写真


【以下、『朝日』1月26付地方面(P28)から引用】

 刑死100周年へ実行委
  四万十市 幸徳秋水の墓前祭
 
 明治天皇暗殺を企てたとされる大逆事件で罪に問われた四万十市出身の思想家幸徳秋水(1871-1911)の刑死99周年墓前祭が命日の24日、同市中村山手通の正福寺の墓地で営まれた。市民らでつくる「幸徳秋水を顕彰する会」(北沢保会長)の主催。約90人が自由や男女平等、平和など、時代を先取りした思想をつむいだ秋水をしのんだ。

 秋水の兄・幸徳駒太郎のひ孫で税理士の正夫さん(67)=東京都葛飾区=や遠縁にあたる同市の歯科医田中和夫さん(63)、田中全市長らが参列。高知ペンクラブ会員で秋水の母を題材にした「一粒の砂」を出版した山岡千枝子さん(74)や高知市の市立自由民権記念館友の会会員らも花を手向けた。

 墓前祭の後、同市右山五月町の市立中央公民館で、来年の刑死100周年(※紅星註:そして生誕140年)に向けた記念事業を準備する実行委員会が結成された。記念事業として、墓前祭や記念講演▽大逆事件をテーマにしたシンポジウムなどの開催▽案内地図の制作▽記念誌の発行▽資料展の開催-などが提案された。具体的な内容は5月までに決める方針という。

 田中市長は「来年は日本の近代史を考えるいいタイミング。幡多の偉人をセットにして観光客を呼ぶ取り組みにつなげたい」と話した。

【以上、引用おわり】



 実はこの記事、紅星はちょっと不満あり。「明治天皇暗殺を企てたとされる大逆事件で罪に問われた・・・」って書いたら、本当に暗殺企てたように思われちゃう。実際は、国と最高裁はつまらん面子守るために認めないけど、明らかな冤罪。誤解を招く書き方はやめて欲しいんだけどなあ、K(朝日記者)さん。

 正福寺跡 秋水墓地入口石碑 秋水墓説明
お墓道標 秋水顕彰会説明板 参加者3 参列者2 参列者3 幸徳正夫さん 田中和夫さん 田中四万十市長 稲田市議 坂本市議 田頭県議 山岡千枝子さん
幸徳秋水氏墓 母・多治さん墓 妻・師岡千枝子さんの墓 坂本清馬さんの墓
右城松風堂1 右城松風堂2 秋水餅の箱 秋水餅の袋
刑死100年記念事業実行委員会設立会
 


 


という事で、来年は秋水さんの刑死100年&生誕40年(紅星と100年違いに、勝手に因縁めいた事感じています)という事もあるし、某N○Kが日露戦争をやや肯定的に描くドラマ作って大々的に宣伝しているしで、当時日本国民が半狂乱状態で日露戦争万歳を叫ぶなか、敢然と対峙して非戦論を唱えた、日本国憲法第9条の祖の功績を大々的に広めるのに当ブログも一役買おうと、中断していた『日刊平民新聞』の訳を再開し、続けて『共産党宣言』『社会主義真髄』『帝国主義』の訳にもチャレンジしようと、秘めたる決意を滾らせる紅星。

では、お久しぶりの紅星訳『平民新聞』再開第一回目は『新年の感』および『歌牌の娯楽』。

新年の感

 曰くお芽出度う!曰くお芽出度う!新年何が芽出度きか、吾人は少しも其の芽出度きを見ざる也。

 武装平和、資本家制度、少数政治、賄賂公行の舊年は去れり、而して武装平和、資本家制度、少数政治、賄賂公行の新年は来れり、新年の新は猶舊年の舊の如し、吾人は少しも其の芽出度きを見ざる也。

 然れども、舊観依然、徒らに斯くの如き者は国家組織の表面也、少しく深く社会の裏面に入れば、別に暗潮の熱を帯びて大いに動くあり、帽劍燦然として馬に跨る軍人の下に、其の奴隷の如き境遇の不平に憤れる兵士あるを見ずや、利を掠め色を漁するの外に一能事なき富豪の下に、其の衣食缺乏の無道に泣ける労働者あるを見ずや、曾ては一代少年の羨望を買いたりし政治家にして、今や心ある一書生の爲に足其門に至るを耻とせらるるに非ずや、久しく大学教授の顯職に在りて国憲王権を説くの学者にして今や一般学生の爲に曲学阿世として公然嘲笑せらるるに非ずや、斯くの如きの暗潮が新年と共に更に新潮を加え来るべきは當然也。

 此意味よりすれば、吾人も亦新年の芽出度きを見ざるに非ず、吾人は此意味に於て新年の前途を祝しつつ、更に読者諸君に向って次の語を爲す。

 曰くお芽出度う!曰くお芽出度う!


(平民新聞八号、明治37年1月3日、無署名)



紅星訳:新年の感 
 世間では(新年)おめでとう!おめでとう!と言っているが、新年が何でめでたいのか、私には少しもそのめでたさが分からない。

 武力による平和、資本家制度、少数者の政治、賄賂横行の旧年は去った。そして武力による平和、資本家制度、少数者の政治、賄賂横行の新年がやって来た。年が新しくても、なお旧年と変わっていない。私は少しもそのめでたい訳を見いだせない。

 しかし、昔のまま変わらない、このようなものは国家組織の表面である。少し深く社会の裏面に入ってみれば、表面と別に暗い潮流が熱を帯びて大きく動いている。帽子や剣を燦然と、誇らしげに馬に跨る士官の下で、その奴隷のごとき境遇の不平に憤る兵士がいるのが見えないか。暴利を掠め取り酒色をむさぼるほか何も出来ない大金持ちの下に、その衣食欠乏の無道に泣く労働者があるのが見えないか。一時代は少年の羨望を一身に集めた政治家にして、今や心ある学生の中では、足が其の門に至ることを恥とされている有様ではないか。長く大学教授という高い地位の職にあって国憲王権を説いていた学者が、今や一般学生に曲学阿世の徒と公然と嘲笑われているではないか。こういった潮流が新年とともに新たな潮流を加えてますます勢いを増すのは当然の成り行きである。

 この意味からすれば、私もまた新年のめでたきを見いださないではいない。私はこの意味において新年の前途を祝いつつ、さらに読者諸君に向かって次の言葉をかけよう。

 おめでとう!新年おめでとう!!


 歌牌の娯楽
<一>
 一少女に問う、新年に於て何物か最も楽しき、対して曰く、歌がるたを取るなりと、之れ有る哉、我も亦幼時甚だ之を好みて、兄に侍し姉に従いて、食と眠とを忘るゝこと屢々(しばしば)なりき、依りて想う、歌がるたの遊戯、何ぞ爾く楽しかりしやと。

<二>
 人多くはいうべし、歌がるたの楽しきは競争に在りと、或は然らん、然れども世の所謂競争なる者を見るに、大抵悲痛労苦の之に伴う多きが故に、人は皆之を厭い之を避けんとす、特(ひと)り歌がるたに在りて爾く楽しむ可しと爲す者、別に其故無くんばあらじ、曰く有り、歌がるたの競争は、諸種の點(てん)に於て、世の所謂競争と頗る其科を異にする者なり。

<三>
 歌かるたの遊戯は、競争の遊戯なり、左れど此の競争や、直ちに人生の最高理想を現實す、何ぞや、自由、平等、博愛。

 歌かるたの競争は自由なり、他人の爲に役せらるゝに非ず、境遇の爲に驅らるゝに非ず、進まんと欲して進み、止まんと欲して止む、唯我独尊、縦横無礙(じゅうおうむがい)、眞個の自由を享くる者に非ずや。

 歌かるたの競争は平等なり、其一たび席を設け陣を張るや、階級なく、門閥なく、金力なく、権勢なく、兄弟も姉妹も親子も主客も雇主被雇者も、皆な同等の地歩を占め、同等の権利を有して、以て遺憾なく其技能を伸べ、其力量を角せしむ、眞個の平等を楽しむ者に非ずや。

 歌かるたの競争は一面に於て多数の協同を意味するなり、皆な心を一にして相結び、排濟(はいさい)なく、離間なく、中傷なく陰謀奸策なく、極めて公明、極めて正義の運動を爲し、強、弱を扶け智、愚を救う、勝敗一決すれば相看て哄笑す、嬉々たり、雍々(ようよう)たり、和気掬するに堪たり、所謂衆と偕(とも)に楽しむ者、眞個博愛の心の発揚さる者に非ずや。

<四>
 故に歌がるたの楽しきは、唯だ其競争なるが爲めに非ずして、其競争が、此時此際、一切世俗の習慣、束縛、迷信を蝉脱して、眞個の自由、平等、博愛を現ずればなり、孔子曰く、君子は争う所なし、必ずや射乎、揖讓して昇り、下りて飲む、その争いや君子なりと、歌がるたの争いや誠とに君子の争いなり、眞なり、善なり、美なり、花の如く天使の如き少女が、新年に於て最も楽しとなす者、所以あり。

<五>
 嗚呼天下の競争てふ者をして、盡く君子の争ひならしめば、自由、平等、博愛のなること、眞なり善なり美なること、彼の歌がるたの競争の如くならしめば、如何に人生社会の楽しかるぞべきぞ、左れど見よ、人は生存の競争の爲めに、却って其自由を束縛さるゝことなり、其平等を破壊さるゝなり、其博愛の心を戕殘(しょうさん)されるるなり、歌がるたの競争は、少女も之を楽しめども、生存の競争の悲痛と労苦には、孟夏賁育も亦疲倦せざることを得ず、我等社会主義者、豈に徒らに競争を排せんや、萬民の生を遂げしめんが爲めに已むことを得ざればなり。

<六>
 歌がるたを楽しめる少女よ、我も亦幼時甚だ之を好みて、兄に侍し姉に従いて、食と眠と忘れしこと屢ばなりき、今や此の楽しみなし、嗚呼老いけるかな、顧みて憮然之を久しくす。

(八号、明治37年1月3日、秋水、『平民主義』所収)



紅星訳:歌牌(歌がるた)の娯楽

<一>
 ある少女に、新年で何が一番楽しいか尋ねてみた。すると少女からは「歌がるたを取るのが一番楽しい」と答えが返ってきた。これは頷ける。私も幼い時分は兄に寄り添い姉に従って、寝食を忘れてこれに没頭することがしばしばあったものだ。そこで想う、歌がるたの遊びは何故そのように楽しいのか、と。

<二>
 多くの人は言う。歌がるたの楽しさは競争にあるのだ、と。或いはそうだろう。そうだとしても世のいわゆる競争というものを見ると、たいてい悲痛や労苦がこれにともなうこと多いがゆえに、人はみなこれを嫌がり、これを避けようとする。唯一、歌がるたをそのように楽しもうとする者には、別にそのようなことはない。言わせてもらえば、歌がるたの競争は、色々な点において、世の中のいわゆる競争とかなりその種類が異なるものである。

<三>
 歌かるたの遊びは、競争の遊びである。そうではあってもこの競争たるや、人の生きるうえでの最高の理想を実現させているのである。それは何か。自由・平等・博愛である。

 歌かるたの競争は自由である。他人のためにやらされているのではなく、境遇のために駆られるのでなく、進みたいと思って進み、止めようと思って止める。唯我独尊、縦横無尽。真に個の自由を享受する者ではないか。

 歌かるたの競争は平等である。ひとたび席を設けて各自座ったならば、階級なく、門閥なく、財力なく、権勢なく、兄弟も姉妹も親子も主客も雇用主・被雇用主も、みな同じ身分で、同じ権利を持ち、そして遺憾なくその技能を伸ばし、その力量を競う。真に個の平等を楽しむ者ではないか。

 歌かるたの競争は一面において多数の協同を意味するものである。みな心を一つにして相結び、排除なく、離間なく、中傷なく陰謀やよこしまな策もなく、極めて公平、極めて正義の運動をなし、強者は弱者を助け、智者は愚者を救う。勝敗いったん決まれば、それぞれ顔を見あわせ大笑いする。喜び笑い、おだやかで、和気あいあいとした雰囲気が十分感じ取れる。いわゆるみんなとともに楽しむ者、真に個の博愛の心を表す者ではないか。

<四>
 ゆえに歌がるたが楽しいのは、ただそれが競争であるがためではなく、その競争が、その時その場において、いっさい世俗の習慣、束縛、迷信から抜け出して、真に個の自由・平等・博愛が現れているからである。孔子は言う、君子は争うところなし、と。必ずやそうであろうか。譲りあいながら二階に昇り、下りてきて酒を飲む。その争いや君子であると、歌がるたの争いや誠に君子の争いである。真である。善である。美である。花のような天使のような少女が、新年において最も楽しいとするのは、この所以である。

<五>
 ああ、天下の競争というものを、このような君子の争いにさせられれば、自由、平等、博愛であること、真であり善であり美であること、かの歌がるたの競争のようにさせることができるのならば、何と人生社会は楽しいものになるだろうか。しかし見たまえ、人は生存の競争のために、かえってその自由を束縛され、その平等を破壊され、その博愛の心を損ない押し殺させられている。歌がるたの競争は、少女もこれを楽しむが、生存の競争の悲痛と労苦には、孟夏賁育もまた疲れ果て飽きてしまうこともやむを得ない。我ら社会主義者、どうして徒に競争を排除なぞしようか。万民に人生を全うさせようとするためやむを得ないからである。

<六>
 歌がるたを楽しむ少女よ、私もまた幼い時分は兄に寄り添い姉に従って、寝食を忘れてこれに没頭することがしばしばあった。今やこの楽しみはない。ああ、老いてしまったことよと、顧みてしばし憮然としてしまったことだった。


 ・・・・かるたと社会主義を結びつけて、しかも読者になるほどと納得させてしまう幸徳秋水氏の文筆力、誠もって恐るべし!と言った感あり。

 さて、このようにのどかに始まった明治37年の新春。しかし、その約一月後、日本の歴史を急展開させ、かつ、その後の日本の針路を狂わす出来事が起こることになります。




 と引っ張ったところで、今後の訳の続報をお楽しみに! したっけ
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【2014/08/27 13:46】 | #[ 編集]

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