紅星の、おっはーさんの地元(長岡京市)探訪記

 もう一月半も昔のことを今さら書くのも何なのですが、年末の帰省時の12月26日に、余り時間利用して

   長岡京市

を散策してきました。

 何故に長岡京市?と言えば、ガラシャゆかりの勝龍寺城を見てみたかったのと、ブログでしばしばTBやコメント交換させてもらっている『おっはー』(小原明大・長岡京市議)さんのブログをしばしば訪問するうちに、どんなところか訪ねてみたいなと思い立ったからです。

 とにかく駆け足で、写真取りまくっただけの探訪だっただけのような気もせんじゃないですが、まずは一つ、お読み下されば幸いです。
 長岡天満宮本殿1 光明寺前 乙訓寺
勝竜寺城2 勝竜寺4


クリスマスのネオン華やかしい25日夜、中村駅から夜間高速バスに乗り込んだ紅星は、翌26日5時に神戸三ノ宮駅前に到着。

大都市神戸といえ、この時間では人も少なくて当然・・・と考えたら甘かった。大阪・京都方面の快速って、この時間から結構人乗ってるのね。しかも女子高校生も・・・部活やろか???

JR長岡京駅1 長岡京駅到着時刻

などと、あれこれ考えたり、ボーっと外眺めているうちに、気がついたら空も白み、長岡京駅に到着。時間は6時40分ごろ。

長岡京名産案内

降りて改札口いく途中、長岡京市の名産を紹介するショーケースがあったのでパチリ。お茶関係多かったのは、やはり三斎(忠興)ゆかりの地だから?

西国街道の碑 長岡京駅前東口

外出るとまだ薄暗く、空いているのは歩道橋下のコンビニくらい。喉乾いたのと朝飯補給のため立ち寄り、出てきたら『西国街道』の碑があったので撮影。

長岡京駅前の萌え萌えカー

それと、コンビニの客だろうか、いやに萌え×2な車が停まっていた。幸い中と周りに人気なし。撮るか、撮らないか・・・。結局、悪魔の囁きに屈し、思いっきりフラッシュたいて撮影してダッシュで逃亡しました(ナンバー消してあるから大丈夫だよね・・・きっと)

駅に置いてあった観光チラシを頼りに、まずは長岡天満宮へ。地図見たらすぐのような感じしたけど、存外遠かった気がします。それでも何とか、迷わずに7時10分頃到着。

長岡天満宮前にて 長岡天満宮前にて2

長岡天満宮境内1 長岡天満宮内2 長岡天満宮内3 八条が池説明板

鳥居をくぐったら、いきなりでっかい池が。八条が池とかいうそうですが、日淡(日本産淡水魚)好きの紅星、「ここにはどんな魚おるろう」とか、そんなことばかり考えてました(もちろん、景色も堪能しましたよ)。

気になった灯篭

で、この灯篭・・・・『フジタカ』って、長岡(細川)藤孝にちなんで付けたんじゃろうけど、何の会社?

長岡京観光案内板1 長岡京観光案内板2 長岡京観光案内板3

さてそこからはまず、境内に入らずに天満宮の全景図をみたあと、八条が池の周りをぐるりと散歩。

長岡天満宮境内案内図

鳥居前に戻ってきた時、丁度鳥居の枠から朝日が昇ってきたので写真を撮りました。

 長岡天満宮鳥居から朝日を望む

 そのあとはいよいよ境内を散策。菅公顕徳碑?や、『錦景苑』を拝見させていただきました。

菅公顕徳碑?
錦景苑 錦景苑2 錦景苑3 錦景苑の椿

 で、いったん天満宮本殿までいったのですが、社務所は9時からということで、また後ほど拝観しようと思い、次の目的地『光明寺』へ。

天満宮から北へトコトコ歩き、長岡中学前ではなぜか痛い視線を浴びつつ(朝からカメラ持って徘徊していたから変質者と思われたか)、その近くに教会を発見。丁度前日はクリスマスだったなァと写真撮ると、すぐお隣さんは何と墓地!妙な取り合わせやなァとこっちも思わず撮ってしまいました。

 長岡中学前の教会 教会の隣の墓地

そうこう歩くうちに、光明寺門前に到着。

 光明寺前

 ここはあの『平家物語』で有名な熊谷次郎直実(蓮生法師)が創立した寺で、法然上人に縁のある寺だそうです(詳しくは画像の『光明寺説明版』をクリック)。今考えると、境内案内板から見ると、建築物のごく一部しか見て回らなかったような・・・ちょっと口惜しいです。

光明寺の門 光明寺境内図 光明寺境内 法然上人像 法然上人願文 光明寺説明版 光明寺表札 誰かの棺 法然上人ゆかりの松 光明寺の坂(下り)

 そしてお次は光明寺から南西にある『乙訓寺』。ここもルート上に中学校(第二中学?)があって、中学の正門前の警備員氏がジロジロと見ていました・・・紅星ってそんなに犯罪者っぽいんやろか?

 で、乙訓寺。なんか案内があっさりしているなァと思ったら裏手から入ったようです。

 乙訓寺 乙訓鎮守八幡 乙訓寺鎮守八幡社説明板 乙訓寺本殿1 乙訓寺本殿2 乙訓寺説明版 乙訓寺鐘楼 乙訓寺鐘楼説明版 乙訓寺モチノキ 乙訓寺モチノキ説明版 弘法大師像?

 余談ですが、鐘楼の寄進者とされる牧野成貞。紅星はこの名を聞いて、中学の時に古本屋で買った雑誌にあった成貞かと思い出しました(因みにその雑誌の名は『別冊歴史読本 徳川300藩血族総覧』といい、今も紅星の本棚で歴史参考文献として健在です)。
 牧野成貞は、徳川綱吉が館林藩主だった頃からの家臣でしたが、1661年に2千石扶持に過ぎなかったのが、綱吉将軍就任後の1680年に、一挙に1万3千石の大名に列することに。凄まじいのはそれからで、翌年1681年に老中格、1682年に2万3千石、1683年5万3千石、1688年には7万3千石にまで出世!
 これだけ聞くと、さぞや成貞が有能な人物だったように思われるかも知れないですが、後に台頭した柳沢吉保ほどの才覚は史書からは認められず、極めて平凡な人物ではなかったかと思います。

 なら何でこんな異常な出世をしたのかというと、妻阿久里、そして娘安子の犠牲があったのです。成貞が阿久里を綱吉に献上したのが1672年。その後5年間に阿久里は綱吉の寵愛を蒙るのですが、1683年までの加増はそれに対する『対価』だったとも考えられます。しかし、1687年のこと、成貞の屋敷を訪れた綱吉が、成貞の二女・安子を乱暴してしまうという事件が起きます。安子には婿養子・牧野成時がいましたが、夫の成時は憤慨し、その夜割腹自殺、安子も1689年にこの世を去ってしまいます。1688年の加増は、綱吉からすると『慰謝料』みたいなもので、つくづくこの『犬公方』の性根の悪さを象徴する例として挙げられると思います。

 妻と娘が酷い目に遭わされたのを横目に異例の出世をした成貞ですが、彼はこれをどう感じていたのでしょう?例の鐘楼の寄進が、娘・安子とその婿・成時への供養とするならば、少しは救われるのですが・・・。

 成貞寄進の鐘楼を見て、そのような思いが胸をよぎったことでした。

 話を戻しまして、乙訓寺を出た時点で時間は9時半。長岡天満宮の社務所も開いているはずと、もと来た道を戻っていると、中央公民館前で、『長岡京市環境都市宣言』と『長岡市民憲章』の看板を見かけたので、カメラに収めました。

 長岡京市環境都市宣言 長岡京市市民憲章

そして今度こそ長岡天満宮の境内を参拝し、厄除守を購入しました。

 長岡天満宮本殿1 長岡天満宮本殿2 長岡天満宮本殿3

 さて、この時点で時刻は10時ちょい前。12時半にはJR乗らんと飛行機に間に合わんと、急ぎ勝龍寺城に向かう紅星。

 が、途中に何か変な工事現場を発見・・・・て、よく見たら古墳発掘現場(塚本古墳)でした。北海道育ちで、幡多でもこんな光景見たことないので、流石京都府!と頷いてしまいました。そういえば、他にも舞塚古墳や、後で出てくる神足遺跡など、本当に遺跡が多いところなんですね。

 古墳発掘作業中 塚本古墳(只今発掘作業中) 舞塚古墳

長岡京駅に戻って、今度は反対側の出口に行き、いよいよ今回の長岡京探訪のメイン、勝龍寺城へ。

 と、出口を抜けると、いきなり謎の動輪のオブジェが!『何ぞ、これ?』と正面回ってみると、『長岡京市平和都市宣言』の宣言文が。結局動輪の意味は分からずじまいでしたが、京都の革新勢力の影響力の強さを垣間見た気がしました。

 平和都市宣言と謎の動輪オブジェ 長岡京市平和都市宣言

さて、駅前の標柱によると、勝龍寺城と勝龍寺はすぐそこ。

 長岡京駅史跡案内

 案内どおり駅前を左折して、やや小走りで向かいます。

 と、ふと学校の練習場みたいなフェンスに『神足遺跡』の案内板が見えたので、写真に収めて、また先へ・・・と前向くと、JCP関係者のお宅?があるではないですか!日頃党中央に文句タラタラの紅星ですけど、旅先でJCPのポスターとか見ると、やっぱざまに嬉しいがです!

 JCP関係者のお宅? おっはーさんの看板 センスのいい京都JCPポスター

 『小原明大連絡所』の立看があるということは、おっはーさんのお知り合いのお宅でしょうか?それにしても、JCP京都のポスターって、本当にセンスの良さを感じちゃいます!明るい色合いとか、配置とか・・・GOODです!

 あ~あ、JCP高知委員会ももっとセンス磨いて欲しいよなァ・・・ホント頼みますよ!

 そのお宅からすぐのところに、お目当ての勝龍寺城はありました。

 勝竜寺城多聞櫓1 勝竜寺城多聞櫓2 勝竜寺城多聞櫓3 勝龍寺城説明板1 勝竜寺城多聞櫓4 ガラシャゆかりの地説明版 勝竜寺城外郭 勝竜寺城1 ガラシャの勝竜寺城 勝竜寺城説明板4 勝竜寺城公園 勝竜寺城2 勝竜寺城3 勝竜寺城4


門をくぐると、復興天守風の資料館と、庭園が。

勝竜寺城5 池の鯉

 まず庭園を回ってみると、『ガラシャおもかげの水』という、天然水の給水所があったので、丁度リュックのなかのペットボトルが空だったもので給水させていただきました。それにしても、画像には写っていませんが『持ち帰りは1人○リットルまで』って書かないと、それこそ2リットルボトル20も30も抱えて汲んで帰る輩とかいるんだろうな・・・とか思っちゃいました。そんなに汲んでいって、金魚の水槽にでも入れるのかっての(我が四万十でもスーパーが無料浄水サービスやっていたときそんな輩少なくなくって、今はそのスーパー、指定の容器に5リットル程度のサービスに切り換えてしまいました)。

ガラシャおもかげの水1 ガラシャおもかげの水2

そして庭園内には、ガラシャと、長岡(細川)忠興の仲睦まじそうな像が。

ガラシャと忠興1 ガラシャと忠興2 ガラシャ 長岡(細川)忠興

もっとも、正直言って紅星はガラシャFanの忠興嫌いなので、心中穏やかならざるものがありましたね。後に出てくるガラシャ・忠興の肖像もベストカップルっぽく描かれていますが、史実の忠興の行状見たら、歴史Fanなら知っての通り、『偏執的愛情』『ストーカー夫』といって良い位のキモ夫だったのですから(飽くまで対ガラシャについて言えばで、武将としての才覚は紅星も認めます。でも嫌い)。

 大体、自分の妻が他の男の目に触れることを嫌い、幽閉(監禁)同然に暮らさせ、たまたまガラシャを目にした庭師を即座に斬り殺し、挙句の果てには、関ヶ原合戦の折、石田三成が東軍方の妻子を質に取ろうとした時、他の大名の妻が上手く脱出したようにガラシャも脱出できる十分な条件があったのに、「他の男に見られたり触れられたりするのは許さん。自害しろ」と強要。ガラシャは家臣に襖越しに胸を突かせて自害するという悲惨な死を迎えたのです。
 忠興はガラシャに偏執的な愛情を持っていたようですが、ガラシャは山崎合戦で父(明智光秀)が見殺しにされてからすっかり愛情も冷め、キリスト教信仰に没頭するようになったというのも分かります。

 多聞櫓裏面 多聞櫓説明版 井戸跡説明版 勝竜寺城北門跡 勝竜寺城北門跡説明板 沼田丸への連絡通路説明版 勝竜寺城6

 さて、忠興への悪口はこの辺にして話を戻し、庭園内の多聞櫓や井戸跡、北門跡、沼田丸北辺堀跡を見て周り、それから資料館に入りました。有料かと思っていたら無料でラッキー☆

 勝竜寺城資料館館内1 ガラシャと忠興肖像画 勝竜寺城出土品 ガラシャ肖像画 藤孝統治期の勝竜寺城 勝竜寺城説明版 資料館展示室全景

資料館は概ねゆったりと楽しめ、資料も興味あるものばかりでしたが、一つ、『これはどうよ!?すぐに訂正したほうがえいがやない?』という説明板が。

 ???な説明版

 ピンクで線引っ張ったところがそうなんですが、1560年は田楽狭間(桶狭間)合戦で信長が今川義元を討ち取った年。足利義昭を擁して上洛戦を起こし、勝龍寺城の岩成友通を撃破したのが1568年9月29日(講談社『クロニック戦国全史』より)。
 ですから、この説明板は、『1568(永禄11)年、足利義昭を擁して京都に来た織田信長は、柴田勝家らに勝龍寺城を攻めさせて9月29日に落城させ、細川藤孝に与えています』と直ちに訂正すべきです。さもなくば、全国の歴オタに影で笑われてしまいかねません。
 それにしても、何故1560年なんて関係のない年が紛れ込んだのか不思議???

 あと、疑問に思ったのは、この城、公園名は『勝竜寺城』公園、パンフや説明版は『勝龍寺城』・・・・一体どっちが本当の名前なんでしょうか?(まァ、『日本』を『にほん』というか『にっぽん』というか、というのと同じ、大したことじゃないかも知れんけど)

 とまァ、勝龍寺城はここまでにして、最後の目的地・勝龍寺へ。

 この2つのスポットは数百mほどですごい近い。まァ、『勝龍寺』に因んでの『勝龍寺城』だから当然なんだけど。

 勝龍寺案内 勝龍寺1 勝龍寺2 勝龍寺鐘楼 勝龍寺鐘楼説明板 勝龍寺3 勝龍寺4 勝竜寺 勝龍寺6

という訳で、全目的地を探訪して駅前に戻ってくると、動輪のオブジェの前でバカップルがイチャイチャしよる。ちょっと胸くそ悪くなったので移動したら、おや怪我の功名ってやつか、煙突型の平和記念碑発見!

 平和記念碑 平和記念碑説明板

結構人目につくところに2つの平和関連のものを設置するとは、なかなかやるでないの、長岡京市!と気分よくJRに乗り込み、関空から実家に帰省したのでした。めでたしめでたし。

 ・・・・といけば良かったんだけどねぇ、イザ関空に着いてみると新千歳空港は大荒れ、出発も遅れるとのこと!

 それでも乗れりゃいいやと思いつつ、1時間半遅れで飛行機離陸。「途中で引き返すかも」のアナウンスも時折流れつつも、午後6時に新千歳空港上空到着、さぁあとは着陸だ・・・って、許可が下りんだと!?結局天候の回復を待ちますと7時半まで上空でグルグル旋回飛行したけど、ついに機長が撤退の判断。眼下には空港の明かりが見えるってのに、実に無念・・・っ!!

 結局関空に午後9時に到着。みんな一様に疲れきった表情で手荷物を受け取り、ホテルや自宅にそれぞれ散っていく・・・But、遠くから来た紅星みたいなのはどうせいと言うんか!?とサービスの兄やんに聞いたら、「関空は24時間空港なので、建物内でお休み下さい」だと。まぁ、こちとら持ち金夏目さん数枚だったから、外に放り出されないだけでもマシか、結構こういうの慣れてるし。

 と気分がやや落ち着いたところで、改めて千歳行きの予約取り直そうとまた兄やんに聞いたら、何と「これから数日間、伊丹・関空・神戸とも空席なし、キャンセル待ち」だと言うではないの。一瞬目の前真っ暗・・・今回の引き返しで関空→千歳間は1回限りタダ乗りできるのだが、これじゃ何しよるか分からん。何とか明日帰り着く手は・・・と貧弱な脳細胞をフル回転して、あることに思い当たったので聞いてみた。

 「あの~、関空から羽田は空きありますか?」
 「ああ、明日の第一便(6時半ごろ)から何便かまだ空席多いですね」
 「・・・ええと、じゃあ羽田から千歳は?」
 「それもまだ空席多いですねぇ(笑)」

 それを早く言わんかい!!!心配して損した!

 あとの気がかり、タダ券が乗り継ぎでも使えるのかというのと、追加料金はいるのかというのは、乗り継ぎOK、料金も元々同じだから追加なし!で、ようやく安心して待合室のソファで寝ることができた(ごっつ硬くて寝心地は悪かったけど)。

 そして翌27日6時半、関空→千歳のキャンセル待ちに並ぶ長蛇の人々を横目に(JALも乗り換え勧めてやれよ)、紅星は実家への帰路に着けたのでした☆

 ・・・・・嗚呼、疲れた。




以上、今回もこれまで。したっけ

スポンサーサイト

この記事に対するコメント

ご来訪ありがとうございました


おつかれさまでした♪

いや~、説明板はただちに訂正を申し入れますね(^^;

「フジタカ」は、自動販売機の会社なんですが、もとは「富士高」でして、社長が高井さんというので、残念ながら藤孝じゃないです。

動輪は、何だったかな~。以前長岡京駅は「神足駅」といって、東の住友セメントに向かって線路がありました。それをなくすときの記念だったかな・・・?調べます。

平和記念碑は、空襲で亡くなった女性のことを伝え、隣のニチユの煙突に残る弾痕を生き証人として残そうと、レプリカを碑にしたものです。

看板の家はバトンタッチした平山功さんの家です。

よその人から見たらけっこう見どころある街だったんかな~と今更。とても勉強させていただきました。忠興や、綱吉の話をきくと、人間なんだな~と思えて、身近に感じました。

こんなに滞在されるなら、ちょっとだけでもお会いしておけばよかったと後悔。いつかゆっくりお話しできたらいいですね。

【2010/02/13 09:41】URL | おっはー #wuqAOhZo[ 編集]

おつかれさま


神戸から京都方面は、いったん大阪で下車すると、ちょっと安くなる・・という裏技があるにはあります。
(めんどうですが、回数券を持ってると、自動的に「別計算」なので、常連さんは得意です。)

教会の隣が墓地は、べつにどういうことはありません。
(キリスト教は、「死」を「ケガレ」だといいませんから)

 「竜」と「龍」は、常用漢字を優先するか、固有名詞を優先するかの違いでしょうね。
 (ちなみに、「赤旗」では、橋本太郎も、谷大学も「」の表示です。)

 せっかちな関西人は、「乗り換え」って、嫌いなんですよねー。
関西私鉄ほど「乗り入れ」の好きな路線はあるまい。

【2010/02/13 21:13】URL | ×第二迷信 #EEOsZA66[ 編集]

この記事に対するコメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://tosanishikigyorin.blog47.fc2.com/tb.php/337-c6e46170
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

庁舎統合だけかと思ったら・全員協議会

昼前に終わったき、弁当じゃなくてよかったあ。4日連続弁当やったと  議長あいさつ 毎日の方も(ウンウンとうなづきながら)       ... ひとみちゃんにも ちょっと言わせて【2010/02/18 22:38】