昨日24日は高知のT病院に診察に出かけた。
診察が終わり、処方箋をもって薬局に行って、待合室で高知新聞のTV欄にぼんやり目を通すと、
歴史秘話ヒストリア
「たった一人のあなたへ 『蟹工船』小林多喜二のメッセージ」
が放送されるという。時間はPM10時~10時45分。
その時点で時刻は5時頃で、もう少し高知ぶらぶらしていこうかとも考えていたところだったが、「飯食って、風呂入って丁度の時間だな」
と急いで帰宅の途についた。
そして自宅に着き、夕飯・風呂をすませて10時、ビデオ録画も順調に始まったころ、実家の父から突然電話。何だと取ったら、『NHKで多喜二やってるから見ろ』との事で、丁度見ていたところと互いに苦笑しながら電話を切ったことだった。
さて、その番組内容だったが、小樽で育ち、文学館にも何度も通い、作品のいくつかも読んだ紅星としてはもう少し掘り下げてほしいところもあったが、田口タキとの悲恋、プロレタリア作家としての目覚めと『蟹工船』のヒット、そしてJCPへの入党と特高による虐殺と、その生涯をエピソードを交えて、NHKにしては丹念にまとめたなと好評価をしたいと感じた。
特に、『蟹工船』当時の時代背景、男子普通選挙法実施と同時に『国体改革』『私有財産廃止』を主張する勢力(つまりは1922年に立党したJCP)を弾圧する治安維持法が成立したこと、1928.3.15事件による一斉検挙、その後の治安維持法の最高刑が死刑になり、特高の裁量で何でも出来るようになったこと、そのような危険な世相のなか、敢えて多喜二はJCPに入党し、1933年2月20日、突然検挙され、その日のうちに拷問死させられたこと、その遺体の様子を詳しく説明し、『この番組ウヨク見たら共産党の宣伝しやがってと抗議電話してくるんやないろうか?』とまで感じた。


番組は最後に、多喜二が地元小樽に対する愛着を語った言葉、
冬が近くなると ぼくはそのなつかしい国のことを考えて 深い感動に捉えられている
そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある
そこでは 人は重っ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている
ぼくは何処を歩いていようが どの人をも知っている
赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上がっている街を ぼくはどんなに愛しているか分らない

と、『蟹工船』がフランス語・韓国語・中国語・台湾語に翻訳されて出版され、各国でも読者が増えてきている事を紹介して終わった。
そして最後の資料協力の一つに『日本共産党中央委員会』(笑)…ま、当たり前っちゃァ当たり前。
ところで、フランス・韓国・台湾での『蟹工船』の読まれ方と、中国での読まれ方はちと様相が異なっているようである。
【09.12.22しんぶん赤旗より】
『蟹工船』と重なる部分ある
「ここに描かれたことは今も荏在している。中国でも労働者の権利保障が急務だ」「『立ち上がれ』と呼びかけていることが魅力だ」ー漫画と小説を一体にし、7月に出版された中国語訳『蟹工船』(小林多喜二箸、1929年発表)に読者から寄せられた感想です。訳者の一人、北京外国語大学北京日本学研究センターの秦剛(しん・ごう)助教授に聞きました。
北京外国語大学助教授 秦剛さんに聞く 中国語訳を出版
いまなぜ中国で『蟹工船』かー。「(中国では)経済発展にともなっていろいろな間題が出ています。一部は1920年代の日本と重なる部分があります」「自分たちの生きる世界の現実を考えるメッセージを訳者の序文などいろいろな形で出したつもりです」といいます。
漫画(日本語原作は東銀座出版)を秦さん、小説を同僚の応傑さんが担当し協力して訳しました。 「比ゆ、方言、傍点、カタカナなど原作の感じを生かすのに苦労しました」。
中国の北方方言を使い、傍点はそのまま使いました。過去いくつか出版された中国語訳では労働者たちの性に関する記述がカットされていましたが、今回はそれも訳し、「中国初の完訳」です。
漫画と小説をセットにしたのは「若い人に読んでほしい」という思いからでした。片面から開くと漫画。もう片面から開くと小説という作り。日中の研究者による解説、多喜二に関する詳しい年譜も付けました。
出版社を探すのが翻訳以上に大変でした。構想が持ち上がったのは2007年。しかし中国では市場経済化で出版界も売れるかどうかがまず大事。「プロレタリア文学など売れない」「内容が古い」と言われ、何度も挫折しました。
『蟹工船』が最初に中国に紹介されたのは1930年代。50年代から翻訳が出版され、62年には漫画も出されました。しかし「80年代後半から中国会の変化と文学観念の多元化にともなって多喜二は読者の視野から遠ざかって行った」と秦さんは序文で書いています。
決め手となったのが日本の『蟹工船』ブーム。中国国内でも話題になり、大手の人民文学出版社が引き受けました。「感動を言葉に置き換えて現実を変える手段にする。『蟹工船』がそうです。これが文学の力です」
多喜二が目指した『貧困・搾取のない世の中』を目標とする、『共産党』を名乗る政党が政権党である中国で、貧富の差が広がり、「労働者の権利保障が急務だ」とは・・・・。読まれようによっては、中国でも『反体制』の書となる可能性が高いのではと感じる。JCP中央も、内政干渉にならない範囲で、言うべきは言うべきではないか?
話を戻して、実は見終わって一瞬、里心が戻ってしまって、正直少々困ってしまった。多喜二の小樽は、紅星の小樽であり、映像はどれも懐かしさを呼び戻すものばかりであったからだ。
しかし同時に、多喜二がもし残虐な特高の拷問に生命を奪われず、非転向を貫きJCP党員であり続け、今の小樽を目にしたとしたら、果たしてどう思うだろうかと深く考え込んでしまった。
1903年生まれの多喜二が今生きていたら106(10月13日で107)歳。壮健ならば、まだ存命され、現小樽市を目にすることもあったであろう。
先ほど多喜二は遠く東京の地から小樽への愛慕の心を表していたが、多喜二の愛した小樽は、ほとんど消えてしまいつつあるといっても過言ではない。実際、紅星も正月の帰省で帰るたびに、小樽市内を散策して、ある種の哀しみを覚えてしまい、やりきれなくなる時がある。
時代の趨勢と言ってしまえばそれまでだが、かつての小樽のメインストリート、『都通り商店街』の入り口には、ケバケバしい悪趣味なパチンコ屋がでかい面を晒し、中へ進むと、かつては『小樽の名店』といわれた老舗がシャッターを次々と閉め、景気がよさそうなのは東京資本の薬局とかばかり。通りを歩く人の顔も、どことなく精彩がない。
観光客なら嬉々として楽しむ運河界隈自体、運河はかつての幅の半分程度に削られ、更に削ろうかという意見すらあると聞く。北運河や、西の北海製罐まで行けば、かつての落ち着きある運河に浸れるが、大資本の開発の影は、着実にそこへも広がろうとしている。北一硝子やオルゴール堂付近には、中国だか台湾だか分らんがそっち系の観光客の喧騒で一見賑やかだが、『テーマパーク小樽』を見せつけられているようで、どことなくあづましくない(気分が良くない)。
結果、毎年のごとく『古き良き小樽』を求めて彷徨うことになるのだが、多喜二の墓所も、多喜二文学碑も、冬は雪に埋もれて近づきすら出来ず、一層フラストレーションがたまる。
もう一つ、これは多喜二が存命なら、まず看過してはいないであろう、小樽の『軍港化』である。
詳しくは過去エントリー・『2.1レイク・エリーin宿毛と、2.5ブルー・リッジin小樽』をご一読いただきたいが、米海軍第7艦隊旗艦が8回も入港し、米軍艦がこれまでのべ58隻も入港しているのは、『軍港』である横須賀・佐世保、その他には沖縄ぐらいしかないのではあるまいか(否、沖縄でも艦船はこんなに入港していないかも)。
ウチの両親は来年と再来年に古稀(70歳)を迎えるお爺とお婆だが、入港のたび、「多喜二のふるさとを軍港にしてたまるか!」と、猛烈な吹雪にも負けずに抗議行動に参加している。雨が降ってもそこそこ温い宿毛で抗議行動をする紅星からすると、誠に頭の下がる思いである。
蟹工船が世に出されてから81年。世の中は前進・反動入り乱れての様相を強めてきているが、蟹工船の最後の一節、
『そして、彼等は、立ち上がった。・・・・もう一度!』
の不屈のたたかいの心は持ち続けたい、と思う。
NHKによると、この回の放送は、あと2回再放送するとの事。今回見逃した方は、次こそ是非に見ていただきたい。
この記事に対するコメント
トラバありがとう
私もビデオを録画セットしていたのですが、帰って見てみると何故か録画に失敗。
再放送に期待したいところですが、いつだったでしょうか?
オリンピックで再放送無しかも・・・
最近は有料のビデオ・オン・ディマンドへ誘導するために再放送も減っているみたいだし・・・
JUNSKYさま、コメントありがとうございます。
いつも押し付けTBしてすみません。
再放送の件ですが、記事のピンク色で下線の部分クリックしたら、NHKのサイトに飛ぶようにしていたんですが、分かりづらかったようでスミマセンでした。
多喜二の回の再放送は、
BS2: 3月3日(水) 8:15~8:58
総合: 3月3日(水) 16:05~16:48
です。今度こそ、バッチリ録画してくださいね☆
時々お邪魔しています。NHKの多喜二特集のことをお教えいただき、ちょっと感慨に耽りました。1月30日、パリでは日本文化センターで「蟹工船」の仏語訳の記念講演がありましたが、不覚にもそのことを失念し、逃してしまいました。紅星さまの多喜二、小樽への特別な愛着、そしてお父様とのやりとり、そして多喜二の言葉に、心が動きました。ところでInternet Zoneさんのところで、2006年の6月26日のNHKおはよう日本で多喜二が取り上げられたことを紹介されていました。(私は再生できず残念でしたが)そしてル・モンド紙の多喜二の記事の私の拙訳をTVしますので、お目を通してください。これからもよろしく。
再放送は無かった?
当方は、BSの設備がありませんで・・・
ジデジの録画予約機能で「総合TV」と「教育TV」を調べましたが、再放送はありませんでした。
通常翌週の深夜にある再放送は、随分前に放送した「姫路城」に置き換わっていました。
御紹介のリンクから見てみると、「姫路城」の再放送にリンクしていました。
過去放送分を見ると下記のような案内が・・・
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●本放送 平成22年 2月24日(水) 22:00~22:43 総合 全国
●再放送 平成22年 3月 3日(水)
08:15~08:58 BS2
平成22年 3月 3日(水)
16:05~16:48 総合
※3月3日(水)16:05~の再放送は、国会中継のため、放送休止の場合があります。
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結局、「国会中継のため、放送休止」となったようでした。
と言う訳で、録画できませんでした。
DVDに焼いて送って欲しい!
小林多喜二 草稿ノート・直筆原稿がDVD1枚に
多喜二の命日2月20日を期して当社ではDVD版「小林多喜二 草稿ノート・直筆原稿」を刊行いたしました。草稿ノート14冊2000頁+直筆原稿800枚、初出誌の画像付きです(映像作品ではなく、資料のデータベースです)。全作品を網羅というわけではありませんが、多喜二が作品を構想したその原点がうかがえる貴重なものです。詳しくは下記HPをご覧下さい。ご注文はお近くの書店または直接当社までお願いいたします。
http://www.yushodo.co.jp/press/takiji/index.html