「プワソン・ダヴリル」(Poisson d'avril, 四月の魚)

 今日は、いわゆる『エイプリル・フール』。

wikiによれば(wikiの記事が正しいかどうかについては議論あるが)、


エイプリルフール (April Fool's Day) とは、毎年4月1日には嘘をついてもよい、という風習のことである。ただし人をからかうような、害のない嘘に限られる。またイギリスなどでは、4月1日の正午までに限るとも言い伝えられている。英語の "April Fool" は、4月1日に騙された人を指す。

エイプリルフールは、日本語では「四月馬鹿(四月バカ)」、漢語的表現では「万愚節」または「愚人節」、フランス語では「プワソン・ダヴリル」(Poisson d'avril, 四月の魚)と呼ばれる。

なお、日本では4月1日は、「日ごろの不義理を詫びる日」だった。


との事だそうだ。

 グチ(ニベ)

 話は一旦外れるが、上の画像の魚、その名を『鮸(グチ)』、別名ニベ(『にべもない』のにべとは、この魚の鰾から採った『膠:にかわ』を指す)という。エイプリル・フールは先述したようにフランスでは「プワソン・ダヴリル」(Poisson d'avril, 四月の魚)と呼ばれる。プワソン・ダブリルの魚がグチでないのは確かだが、『嘘』では無いけれど、こんな日ぐらいしか紅星の『愚痴』、『白昼夢』をグチの如く『グーグー』と鳴ける日なぞなかろうから、読者諸兄の顰蹙、怒り、嘲笑を覚悟のうえでこの記事を書く。


【JCP支持者のJCP離れと『新志位ポスター』】

 まず、非常に憂慮すべきことに、従来、好意を持って日本共産党を支持してくれていた方々(紅星の出入りしているブログや、ひょんなきっかけで知り合った知人)から、「考え直すかも」という声が寄せられている事だ。

 理由としては、

「JCPの『上から目線』にどうも好い気がしなくなってきた」、

「今回の政党ポスター(志位ポスター)見て、どうして、わざわざ、あんな、ダッサイ(涙)ポスターを作られるのでしょうか?私には理解できません!センスのかけらもない!あれを見て、『もうこの党に協力するのはやめよう』と心から思いました。』」

などというもの。

 JCPの『上から目線』云々は民商時代に会員さんや、新規や中堅事務局員学校(民商では、全国の民商の、新入事務局員や入局3~5年の事務局員を集めて事務局員学校を定期的に開き、研修や全国の局員の交流を図っています)の夜の飲み会(任意)の席で複数の事務局員から、

「党議員の口調が偉そう」「教えてやるという姿勢が不愉快」

という不満の声が出されていたのを聞く機会があったのと、某ブログで『共産党低迷の原因は』のコメントに『上から目線』を挙げていた人が結構いたことから、幾らウチらJCP側が「そんな事はない!」 「議員や党員も人間だから」と言い張ったところで、JCPに「上から目線」がある事は、JCPは認めなくてはならないし、真摯に反省して解消に努めなければならないと思う。
 問題はその「上から目線」がなぜ培われてしまったのか?なのだけれど、「安保闘争・学園闘争」時に染み付いてしまったのか、反共勢力とのたたかいの姿勢を、意見の違う一般人にも向けてしまっているのか…?

 次にJCPの新政党ポスターについて。先のエントリーで

>今度の政党ポスターのセンスの無さは…今日地区委員会行って新ポス見た途端、立ち眩み起こしかけましたわ。

>今回のCポスターを「ダサくて最低」というのは規約違反!?

と書きましたが、今でも地区委員会行くたび、わざと視線を逸らし、視界に入らないようにして地区委員会の建物に入っている。それほど、何故かこのポスターには嫌悪感が強い(あくまでも紅星の主観です)。

>「今回の政党ポスター(志位ポスター)見て、どうして、わざわざ、あんな、ダッサイ(涙)ポスターを作られるのでしょうか?私には理解できません!センスのかけらもない!あれを見て、『もうこの党に協力するのはやめよう』と心から思いました。』」

 上記のメールの人の意見を、「まァ、そんな人もいるよ」と斬って捨てるような物言いする人もいるが、それこそ人非人、「上から目線」の所業。

 大体、「政党ポスターは党首の顔大写しでなくてはいけない」という選挙法でもあるのか?

 紅星が子どもの頃の政党ポスターはJCPだけではなく他党も、赤ちゃんやら女性やらで、党首の顔を大写しというのは無かったと記憶している。それが一変したのは小泉総理のポスターからだろう。あれから他党も、JCPまで党首大写しポスターになってしまったように思う。

 ただ、言うのは憚られるが、Cさんはアレがナニ(自主規制)だからか、どうも旧ポスターもそうだが一般受けが良くない。

 加えて、新ポスター『政治を前に』は、キャッチコピーも消化不良だし、Cさんがにこやかに片手を差し出している。紅星が精神性疾患の持ち主だからかそう思うのか、日々生活苦や失業の恐怖に曝されている人がアレを見て、共感や支持しようと思うだろうか?少なくとも紅星は今回のCポスターは今までで最低の出来だと思っている。

 選挙本番まであと4ヶ月、されど4ヶ月である。遅くはない、早急に本番用政党ポスター、Cさんに拘泥せず、イラストでも良い、『貧困をなくし、助け合いの日本をつくろう!』という熱いメッセージがこもった、派遣切りに遭った人や生活苦に喘ぐ人、この閉塞した世の中を変えたいと願う人の心根に真っ直ぐに伝わる、そんなポスターを切望するところである(中央委員会の担当部署にそんなセンスがないのなら、何度も言ってきたが、首都圏在住のデザイナー・コピーライターなどを生業にしている党員に制作をお願いしたら、今よりは良いポスター出来るのではないか。

【『ラジオ派遣村』について】

 拙ブログを度々訪問してくれている方はご存知のように、今紅星は、選挙区が違って選挙権ないのに、参議院大阪選挙区候補の清水ただしさんを応援していて、パーソナリティーを務める『ラジオ派遣村』のレビューなんかも生意気に書いたりしている。清水さんのトークは面白いし、何より、時間を忘れて真剣に相談に答える真摯な姿勢にすっかりFANになってしまった。大阪選挙区定数3の壁はとてつもなく厚くて高いが、何とか勝ち抜き、『大阪トリプルタワー』を国会に立てて欲しい!!

 しかし、史上初の共産党議員のラジオ番組、もっと党内でも評価されるべき筈のところ、JCPサイト、しんぶん赤旗記事サイトともに一つも記事ヒットせん!他党を刺激しない為の政治的戦略なのか、それとも只の無…なのか!?

 ある線からの情報によると「ラジオにお金使うなら、ビラを豪華にする方が良い」という人も多いらしい(恐らく安保世代の年寄りだろう)。ビラを豪華にするって、宅配ピザのチラシを差し置いて読んでくれるほどのビラを作る自信あるのか!?

 大体、先の25回党大会の『双方向型での情報発信を行う』という内容に、これほど合致した企画はなかろうが!?

 『安保・学園闘争』のノスタルジーから覚めていない先輩党員の皆さんは、一刻も早く、ウェブサイト、ブログ、ツイッター全盛の21世紀の選挙スタイルを直視していただきたい。

 そんな党内の無理解(一部ながら)に加えて、「あれは選挙活動ではないか!」と番組打ち切りを迫る政治勢力(敢えてどことは言わないが)が攻撃をかけてきているらしく、清水さんも流石に参っている模様。

 ただ、大阪以外の党では、特に党員ブロガーの間で大人気で(紅星もJCP議員のブログ検索して、手当たり次第紹介したし…全国のJCP議員さん、突然押し付けTBやコメント書き込んだりしてゴメンナサイ)

 それでも、やはり大阪府内でのリスナーや支持者が増えん事にはいかん訳で、JCP大阪も色々企画たてているらしいけど、なお一層の創意工夫をお願いしたいところである。

 せっかくJCPと縁のない某ラジオのパーソナリティーが「こういう共産党の殻を破った候補は、本当は比例で出して欲しいし、彼のような人材を共産党は大事にして欲しい」とわざわざエールを贈ってくれているのだから。

【紅星とJCPの間のすきま風】

 ひょっとすると、今回の記事中もっとも深刻なのはこれかも知れない。

 というのも、紅星は『コミュニスタ』を自任し名乗りながら、ここ3年ほど前から、『日本共産党』党員としてではなく、『高知共産党』『幡多共産党』党員という意識で辛うじて党員を続けている。

 こう書くと「すわ、分派活動か!?」と色めき立つ人もいるだろうが、別に反党的活動しようとも思っていないし、分派を募ろうなど微塵も考えていない。ただ、中央の言うことより、高知県党や幡多地区党のおんちゃん、おばちゃんが話す事の方が面白いのだ。流石自由民権の土佐というだけあり、JCP党員なのだけれども、皆、毛色が違うのである。還元すれば「○○共産党」(○○はその人の苗字)。酒の席なんか、中央への愚痴から地区委への活動の提言、下ネタ交じりの世間話など、良い意味で人間臭い。こういう活動家の奔走があったればこそ、彼の山原さん10選も成し遂げられたのだろう。ここの党に居ると、もう他の都道府県党に所属したくなくなる(京都や大阪も楽しそうだけど、県民性考えると病気に障る気もする)。
 
 本来なら精神疾患抱えて無職なら、さっさと荷物まとめて実家の小樽帰るのが常道のところ、親から借金し、迷惑かけながら幡多に居座っているのも、それがある。何となく、北海道帰ったら離党してしまうような気がするから…。

 で、普段余り人には言わないが、ここのところ自分とJCPとの間のすきま風がかなり強くなっている気がしている。

8割がたJCPの方針と紅星の思想信条は一致しているのだが、
 
 ① 「象徴天皇制」は完全に政治と切り離したらあっても構わん
 ② 「日の丸」も、むしろ国旗として残すべき
 ③ 中央集権的民主集中制に変わり、『47都道府県連合制』を導入すべき
 ④ 『非戦・民主主義・共生社会』の3本柱だけを党是とする規約に改正し、支部やブログで自由に意見交換できる党に(「党の決定に反する意見を発表したらダメ」ってのも党の統一性守る意味ではそうかも知れんけど、大会を経ずにCさんが会見で話した事も「党の決定」になるなら反対!一般党員の意思がそこに反映されているとは限らんから)

という持論がJCPの見解とぶつかるのだ。

 ①の象徴天皇制は、「憲法守れ」というなら、不満はあろうがこれも擁護すべき(もし「天皇制なくせ」というなら、将来を待たず、憲法審査会に堂々とぶつけるべきだろう)。

 ②の「日の丸」をむしろ国旗として残すべきを見て「右派に転向か!」と激した方もおいでだろうが、以下の理由からである。

  a) 「日の丸」は戦国武将も旗印に使っていたし、明治維新前、開国後の日本籍の船は「日の丸」を掲げていた。ここに「侵略国家の旗」としての顔はまだ持ち合わせていない。

  b)  日清・日露および太平洋戦争では占領地に「日の丸」が翻り、まさに「帝国主義日本」の象徴であった。しかし同時に、その前に翻ったのは日本軍旗「旭日旗」である。今、自衛隊は何の羞恥心もなく「旭日旗」を復活させ、アジア・太平洋を遊弋している。廃するのはまず「旭日旗」である。

  c)一方で、先の沖縄戦で日本軍に集団自決を強いられたにも関わらず、沖縄の人々は「日本復帰」の象徴として「日の丸」を押したて、ついに復帰を勝ち取った。このとき沖縄の左派勢力が「日の丸」を運動に用いていたのは事実である。

  d)以上の経過から、紅星は「君が代」は国歌としてそぐわないので廃す(国歌候補としては「故郷」を強く推す)一方で、「日の丸」は日本の行った蛮行に対する反省と非戦の誓いの旗として残すべき(侵略行為・沖縄の集団自決強制は教育現場で欠かさず教える)と考える。

 新国旗も良かろうが、そうすると過去の侵略行為まで水に流すことになりはしないか?と紅星は危惧するところである。『日の丸』を掲げる時は、同時に、先の大戦での日本の加害責任にも思いを馳せ、あのような事は二度と繰り返さないと心に誓って掲げて欲しい。

 ③今のような、少なくない支部が機能していない状態では、「中央集権的民主集中制」は名ばかりの、只のトップダウンと成り果てる。大体において、47都道府県の共産党はその歴史と党勢、都道府県の歴史や県民性などが異なっており、中央の唱えるように一朝一夕にはいかないと思う。むしろその地域の歴史・政治情勢・その他の特色を加味して、下からかんかんがくがくの議論を積み重ねて行き、47の共産党の統合体として中央委員会が築かれるべきと考える。

 明治維新前後の国際情勢のように、また、ソ連・中国共産党の干渉のように、外国勢力の侵入から組織を守るべき時には中央集権が有効だが、現代のように時代が閉塞している時は、まずそれぞれの都道府県・地域が地域特性を発揮し、元気でなければその組織は立ち行かないと考えるのだ。

 というより、そもそも紅星は『日本連邦共和国』信奉者で、中央集権と聞くと軽い嫌悪感を覚えてしまうというのが正直なところ。

 ④は書いてある通り、で省略。

 最後にこれだけは言いたい。日本共産党はもっと日本の歴史に隠された、先人たちの地方自治の精神や共生社会の伝統について真剣に研究を進めるべきである。

 例を挙げれば切りがないが、共生社会の伝統とは、農村社会の「結い」や村落の共同祭祀、アイヌ民族の世界観、そして沖縄のゆいまーるなど。当然信仰的領域も含まれてくるが、『非科学的』『観念論』と、信仰(五木寛之氏は宗教をこう言い換える事を提唱している)の良い面まで十把一絡げに切り捨てるのは、共同を自ら放棄し、『共生の伝統』そのものまで否定しかねない愚行に他ならない。

 地方自治の伝統を挙げるならば、原始共産制に始まり、平安期以前からの村落共同体、室町期に起きた嘉吉・正長の土一揆や南山城国一揆、戦国期では近江(浅井氏は、近江国人衆の束ね役から戦国大名化した)、丹波・伊賀・紀州などの国人連合や、京・堺・博多の自治都市、そして「百姓(ひゃくせい:色々の職能民や農民、国人層)の持ちたるような国」と呼ばれ百年の自治体制を敷いた加賀『一向』一揆、江戸期に下って飛騨の郡上八幡一揆、そして明治初頭の自由民権運動やその流れの秩父困民党、平民社運動…と、郷土史を丹念に掘り起こせばもっと出てくるかも知れない。

 共産党といえば、まずマルクスやエンゲルスの著作から始めるが、紅星は、飽くまで日本の『共生社会』『地方自治』の伝統を母胎として、それに『科学的社会主義』が新しい血として融合する、言うなれば『日本型科学的共生(コミュニティー)主義』こそ、日本人に適合した主義だと考えるし、そのような組織に自己改革することを提唱したいのだが、如何であろうか。


 と言う具合でまァ、自分でもよくこんなに調子付いて書いたもんだと感心するやら呆れるやら。

 但し、飽くまでも今日は4月1日のエイプリルフール。ここに描きし紅星の白昼夢は、一夜の戯言か、はたまた胡蝶の夢か……。




以上、今回は拙ブログ最強の暴走ぶりを見せてしまい、書き終わってみれば何やら気恥ずかしい。

こんなコミュニスタは、「共産主義者」「共産党員」として、『是』か『非』か!?

・・・・と問いつつ、この記事はこれまで。とりあえず、したっけ


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