今朝、所用で元の職場を訪れ、何気なく開かれた『毎日新聞』を見ると、休日に自宅近くで『しんぶん赤旗』を配り、国家公務員法違反(政治的行為の制限)に問われ、一審で有罪とされた元社会保険庁職員、堀越明男さん(56)の控訴審が29日東京高裁で開かれ、逆転『無罪』の判決が下ったという記事が出ていた!
先だっての荒川さんの件もあるし、どうも東京の裁判官は右寄りっぽいという疑念を持っている紅星は、
『やるやいか、東京高裁!!』
と快哉を叫んだ事だった。
早速JCPのウェブサイトを見ると、流石に身内のことという事も手伝ってか、扱いが大きい。
【以下、JCP中央委員会ウェブサイトから引用】
ビラ配布 逆転無罪
勤務外活動 処罰は違憲 公務員の政治活動禁止「広すぎる」
堀越事件で東京高裁
2003年11月、休日に自宅近くで「しんぶん赤旗」号外などのビラを配り、国家公務員法違反(政治的行為の制限)に問われ、一審で罰金10万円、執行猶予2年とされた元社会保険庁職員、堀越明男さん(56)の控訴審判決が29日、東京高裁でありました。中山隆夫裁判長は「このような被告の行為を刑事罰に処することは、表現の自由を保障した憲法に違反する」として逆転無罪を言い渡しました。東京高裁に詰めかけた多数の市民や支援者からは、「憲法は守られた」と喜びの声があがりました。
一審の東京地裁は、国家公務員法による公務員の政治的活動の禁止を合憲とした1974年の猿払(さるふつ)事件の最高裁判例を踏襲しました。中山裁判長は国公法の政治活動の制限そのものは「合憲」としながらも、今日では国民の意識は変化し、表現の自由が特に重要だという認識が深まっていると指摘。勤務時間外まで全面的に政治活動を禁止するのは、規制が不必要に広すぎるとの疑問があるとしました。
そのうえで、堀越さんが行った行為は、私人として休日に職務と無関係に、公務員であることを明かさずに行ったにすぎないとして、「国の行政の中立的運営と、それに対する国民の信頼確保を侵害するとは常識的に考えられない」と認定。「被告を処罰することは、国家公務員の政治活動の自由にやむを得ない限度を超えた制約を加えたもので、憲法21条などに違反する」と結論づけました。
さらに、「わが国の国家公務員への政治的行為の禁止は、諸外国と比べて広範なもの。世界標準という視点からも、刑事罰の対象とすることの当否、その範囲を含めて再検討されるべき時代が到来している」と異例の付言をしました。
一方、堀越事件は、そもそも尾行、ビデオ撮影など公安警察による違法な捜査により、日本共産党の活動を弾圧する目的ででっちあげられたものでした。高裁判決はこれらについては言及しませんでした。
判決後、堀越さんは「表現の自由は守られました。日本の歴史が変わったと感じる判決でした」と喜びを語りました。
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判決の骨子
一、国家公務員法や人事院規則による公務員の政治活動禁止は憲法に違反しない。
一、被告の行為は行政の中立的運営、行政に対する国民の信頼確保を侵害しない。
一、本件の処罰は国家公務員の政治的活動の自由に限度を超えた制約を加え、表現の自由を保障する憲法21条に違反。
憲法に照らし当然の判決
堀越事件判決で市田書記局長が会見
日本共産党の市田忠義書記局長は29日、国会内で記者会見し、東京高裁が同日、堀越明男さんに無罪判決を出したことについて、「憲法21条で認められた表現の自由という立場から、当然の判決だ」「無罪判決を今後のたたかいの確信にしたい」と述べました。
市田氏は、「判決は、公務員が休日に自分の居住地でビラをまいたことについて、表現の自由からいって当然と認めるものだ」と強調しました。
一方で、「国家公務員法に基づく政治活動への罰則規定そのものは合憲としている点については容認できない」と批判し、「国際人権規約や欧米諸国の法制をみても、世界の民主主義の常識からみれば、日本の国家公務員法それ自身が憲法違反の法律だ」との考えを示しました。
その上で市田氏は、「高検が上告を断念し、無罪判決を確定させることがきわめて重要だ」と指摘。「弁護団、人権と自由を守る国民の運動と世論に心から敬意を表したい。われわれも今後、こういう不当な、表現の自由の侵害を許さないよう全力をあげる決意だ」と述べました。
【以上、引用終わり】
さて、この『堀越事件』判決について、『朝日』『毎日』『産経』が社説を掲載した(読売は別件の社説)。
【『朝日』社説】
「赤旗」配布無罪―時代に沿う当然の判断だ
国家公務員が休日に、公務と関係なく、政党の機関紙を配布したことを処罰するのは、表現の自由を保障した憲法に違反する。そんな判断を東京高裁が示した。
公務員の政治活動に対するこれまでの規制の範囲は、不必要に広すぎた。表現の自由は民主主義国家の政治的基盤を根元から支えるものだ。そう言い切った判決の論旨を高く評価したい。
被告は旧社会保険庁職員。2003年の衆院選前に、共産党機関紙「しんぶん赤旗」を自宅近くのマンションの郵便受けに配ったとして、国家公務員法違反(政治的行為の制限)の罪に問われた。同法とそれに基づく人事院規則は政党の機関紙などを発行、編集、配布してはならないなどと定める。
公務員の政治活動については、「猿払(さるふつ)事件」についての1974年の最高裁大法廷判決が、長く合憲性判断の基準とされてきた。衆院選で社会党(当時)の選挙ポスターを掲示、配布した郵便局員を有罪とした判決である。
猿払判決は、国家公務員の政治活動について、その公務員の地位や職種、勤務時間であったか否かなどのいかんを問わず、幅広く禁止できるという判断を打ち出した。
今回、高裁判決は、この点について明確に疑義を呈した。公務員に対する国民の意識が変わったからだという。
猿払事件当時は東西冷戦下、左右のイデオロギー対立が続いていた。社会情勢の不安定さもあって、公務員の政治活動についても、その影響力を強く考えがちだった。しかし、現在は民主主義が成熟し、表現の自由が大切だという認識も深まっている。
こんな見方に立ち、判決は被告への罰則適用について「必要な限度」を超えていると指摘。公務員の政治活動そのものについても、許される範囲などについて「再検討され、整理されるべき時代」が来ていると述べた。
妥当な、思慮深い判断である。
もとより猿払判決には、かねて学界などから批判が多かった。今回の高裁判決は、時代や国民意識の変化を見極めたうえでの結論なのだろうが、むしろ裁判所の意識がようやく国民に追いついたという方が正確ではないか。そのことは指摘しておきたい。
今回の事件では警察の捜査手法も問題となった。大量の捜査員を投入し、長期間尾行し、ビデオに撮るなど、異様さが際だった。
ここ数年、ビラを配布しただけで刑罰に問われる事件も目立つ。いかにも軽微な行為を罪に問うことが横行すれば、社会は萎縮(いしゅく)してしまう。民主主義にとっては大きな妨げである。
裁判は上告審に移り、論争が続く可能性が高いという。最高裁には、今回の高裁判決を踏まえた賢明な判断を求めたい。
【『毎日』社説】
社説:公務員ビラ無罪 注目すべき問題提起だ
旧社会保険庁職員が休日に共産党機関紙を配布した行為は、国家公務員の「政治的行為」として刑事罰に問われるべきか。
東京高裁は、表現の自由を保障した憲法に反するとして、1審の有罪判決を破棄し、無罪を言い渡した。常識に照らせば、処罰は国家公務員の政治活動の自由に対する「限度を超えた制約」に当たるとする。おおむね妥当な判断ではないだろうか。
判決は、インターネットの普及などにも触れて、表現・言論の自由に対する国民の認識は深まっているとの見解を示す。その上で「西欧先進国に比べ、国家公務員に対する政治的行為の禁止は、過度に広範過ぎる部分がある」とも指摘した。
国家公務員法の禁止する「政治的行為」は、人事院規則で定められる。政党や政治団体の機関紙配布も含まれ、罰則もある。この規定について最高裁大法廷は74年、合憲判断を示している。
東京高裁判決は、最高裁判例について「学説上多くの批判がある」と指摘しつつも、弁護側の主張する規定自体が違憲との主張は退けた。
国家公務員の政治活動が際限なく許されることはあり得まい。どこまでなら許されるのか。高裁判決が、判断基準として、社会状況の変化と国民の法意識をモノサシとした点は新しい考え方だ。
例えば、ビラ配りでも「中央省庁の幹部のように地位が高く、大きな職務権限を有する者、集団的、組織的に行われた場合は別だ」と述べる。どこからが幹部なのか議論の余地は残るものの具体的だ。
今回、無罪とした根拠の一つが休日だった点だ。勤務時間外の活動について判決は「余暇の活用が言われる現代において、国民の目から見た場合、職務とは無関係という評価につながる」と指摘する。職種についても「例えば、運転手などは、行政固有のものでなく、行政の中立的運営が阻害されるとは考えられない」と踏み込んで言及している。
折しも、政権交代が実現し、公務員制度改革が議題に上る時期である。政治の側は、司法からの問題提起の一つとして、公務員の政治活動のあり方、新たな基準作りの必要性について議論を始めてほしい。
ビラ配布をめぐる司法判断が相次ぐ。最高裁は昨年、集合マンション内に入り共産党ビラを配った僧侶を住居侵入罪で有罪とした。だが、強引で行き過ぎる摘発は、言論活動の萎縮(いしゅく)を招き穏当ではない。
今回も上告審で争われるとみられる。国家公務員の政治活動に「表現の自由」が絡む今日的なテーマだ。最高裁には時代の変化に即した明快な憲法判断を望みたい。
このように、『朝日』『毎日』は概ね今回の東京高裁判決を、民主主義社会の日本では妥当なものだとする、至極首肯できる内容である。
一方、『産経』社説は前二紙と正反対、「流石、産経 (#`-_ゝ-)ピキ」と皮肉の一つでも言いたくなる代物。
本当は斯様な醜悪なるモノは載せたくないのだが、比較の為敢えて載せるとしよう。
【『産経』社説】
【主張】公務員の赤旗配布 適正さ欠く逆転無罪判決
公務員でありながら共産党機関紙「しんぶん赤旗」を配った行為が問われた元社会保険庁職員に対し、東京高裁は1審の有罪判決を破棄し、逆転無罪を言い渡した。
高裁判決は、公務員の政治活動を制限した国家公務員法そのものは合憲としつつ、機関紙を郵便受けに配った行為まで罰するのは表現の自由を保障した憲法に違反するという趣旨だ。その理由を「被告は管理職ではなく、休日に自宅近くで、公務員であることを明らかにせず、無言で配布したにすぎない」としている。
しかし、最高裁は昭和49年、郵便局に勤める全逓組合員が社会党(当時)候補の選挙運動を行った行為が国家公務員法違反に当たるとして、有罪判決を言い渡している。その後、公務員の政治活動をめぐり、この判断が踏襲されてきた。今回の高裁判決はこれを大きく踏み出しており、疑問だ。
高裁判決は、最高裁判決以降、冷戦の終息などに伴って国民の法意識や公務に対する意識が変わり、公務員の政治的行為にも許容的になってきたとしている。だが、いまなお、日本の周辺は中国の軍拡や北朝鮮の核開発など新たな脅威も生まれている。
最高裁判決のころと時代が変わったことは事実だが、高裁の判断は少し一面的ではないか。当時も今も、公務員に政治的中立性が求められる状況に変わりはない。最近も北海道教職員組合(北教組)の違法献金が発覚し、公務員の政治的行為に対する国民の目はますます厳しくなっている。
高裁判決は、機関紙配布が「中央省庁の幹部のように地位が高く、大きな職務権限を有する者によって行われた場合」は別論だとしているが、この判断も問題だ。公務員は管理職であろうと一般職員であろうと、公のために奉仕する義務を負っている。地位や身分にかかわらず、政治活動を制限されるのが法の趣旨である。
また、高裁判決では「日本の国家公務員の政治的行為の禁止が諸外国より広範なものになっている」として、世界基準の視点などから再検討を求める異例の付言もした。その場合も、まず国益を踏まえることが重要だろう。
地方公務員や公立学校の先生の違法な政治活動に罰則はないが、行政処分が科される。今回の判決が公務員全体の職場規律などに与える影響が懸念される。上告審での適正な判断を待ちたい。
北教組の違法献金問題に絡めてみたり、「まず国益」だのと言ってみたり、全く陳腐な、『茶説』にすら及ばない内容であることよ。
その点、事件のあった東京の地元紙、『東京新聞』は、社説こそ「鳩山献金」「水俣和解」に譲ったが、1面中段下に帯状に掲載される『抄』で、公安警察の違法行為を断罪している。
【『東京』抄『筆洗』】
筆洗
2010年3月30日
共産党を支持する社会保険庁(当時)の職員を、警視庁公安部などの捜査員は約四十日間、徹底的に尾行した。自宅を出た後に、昼食に何を食べ、夕方にだれと会ったのか。夜はどんな集会に参加したのか
▼行動は分刻みに記録された。多い日には十人以上の警察官が出動し、三、四台の車両、ビデオカメラ四~六台がたった一人の尾行に使われた。私生活に踏み込む執拗(しつよう)さは、戦時中に戻ったような錯覚さえ抱かせる
▼一人のプライバシーをなぜ、ここまで監視しなければならなかったのか。それは国家公務員が休みの日に、政党機関紙を配った行為を「犯罪」とするためだった
▼東京高裁はきのう、堀越明男さんに逆転無罪の判決を言い渡した。政治活動を禁じた国家公務員法の罰則規定を適用することは「国家公務員の政治活動に限度を超えた制約を加えることになり、(表現の自由を定めた)憲法二一条に違反する」という明快な判断だった
▼中山隆夫裁判長は「公務員の政治的行為は、表現の自由の発現として相当程度許容的になってきている」と社会状況の変化に言及する異例の「付言」をした。国民の常識に沿った考えだ
▼同じ警視庁公安部が威信をかけて捜査してきた国松孝次警察庁長官の銃撃事件はきょう、公訴時効を迎えた。納税者として警視庁に言いたい。「税金の使い方がおかしくないですか」と。
今回の事件の『異常性』の一端を取り上げ、違憲と指弾する、素晴らしい『抄』である。産経紙社説執筆者は、『筆洗』担当者の爪の垢でも煎じて飲むが良い。
以上、この記事は当初執筆の予定なく、ニュースを聞いて慌て執筆したものなので、拙ブログをお読み頂いた方々には、ちと粗削りな文章を披露してしまい、誠に申し訳ない。
さて、一審は敗訴、二審は勝訴の『堀越事件』だが、相手は最高裁へ上告しようとしている。
最高裁は先に、あの『荒川事件』を逆転敗訴させた判事共の居るところである。今回も予断は許さない。むしろこれからが正念場であると言えよう。
今回の東京高裁勝訴を歓ぶと同時に、直ちに最高裁上告断念、もしくは上告されども再び勝訴すべく、支援の輪を急速に広めることが肝要である。
以上、この記事はここまで。したっけ☆
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