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地域運動団体のあり方・組織者(専従)の役割とは

 今回紹介させて頂くのは、2004年7月号の『月刊民商』の特集、『組織者としての事務局活動』で、二宮厚美神戸大教授が

『国民的運動団体の専門的担い手の役割と課題』

と題して寄稿された文の一部です。

 紅星はこの一文を読んだ時、妙に心に残るものがあったので、6年近く前の部内雑誌なのですが、大事に保管し、思い出しては繰り返し読みながら民商事務局員活動を続けてきました(ただ、今回紹介する部分の最後、『多数を繋いで筏を組む』技量が紅星には無かったため、精神疾患を患い、離職する事となってしまいましたが)。

 この文は民商事務局員および役員に向けて書かれたものですが、他の地域の民主団体(医療生協・新婦人そしてJCP地区委員会)にも共通する部分があるのでは、と思い、今回引用させて頂くこととしました。


【以下、『月刊民商』2004.7月号の二宮論文 『国民的運動団体の専門的担い手の役割と課題』より抜粋】

イメージからみた地域の運動と事務局員の役割

(略)・・・まず地域のなかの運動団体のイメージ、業者運動のなかの民商のイメージにかかわることを述べておきたいと思う。以下は、私自身が運動のなかで学んできたことの披露でもある。

蜘蛛の巣型から花びら型センターへ

 第一は、「蜘蛛の巣型センターから花びら型センターへ」という組織イメージにかかわるスローガンである。

 「蜘蛛の巣型センター」というのは、蜘蛛が軒下や木陰に巣を張って、蝶や蛾、その他の昆虫などの獲物が蜘蛛の巣に舞い込んでこないかな、と待っている様子をさす。獲物がネットに引っ掛かればしめたもの、直ちに蜘蛛はそれをえさにし、自分のものにしてしまう。地域にはこういうイメージの組織がある。暗い木陰で獲物が舞い込んでくるのを待っているというタイプの組織である。

 これに対して「花びら型センター」というのは、花びらに蓄えられた花蜜の魅力によって、蝶や蜜蜂が自らすすんでその花びらのもとに集まってくる、というイメージを表している。陽光のもとで輝く花びらの蜜に誘われて昆虫たちがやってくる。これは、蜘蛛が軒下に巣を張って獲物を待ちかまえている姿とは違って、いかにも明るく、また花蜜を求めてやってくる蝶々が犠牲になるわけでもない。花びらと蝶や蜜蜂は共存共栄の関係にある。

 地域の運動団体・組織には、これらの「蜘蛛の巣型」か「花びら型」かのイメージの違いがある、確か私はこのような話を農業関係の団体から聞いたことがあった。これは、農業団体にかぎらず、都市部の民商などにもあてはまるだろう。

 民商は地域において、花びら型でなければならない。向こうから獲物がやってくるのを木陰で待っているような、したがってあまり立ち寄りたくないと思われるような暗いイメージの組織であってはならない。

 事務局員には花びら型の花弁のような役割が求められるのである。


あじさい型の魅力をもった組織へ

 第二は、はなびら型であるとして、ではどのような花が望ましいか、という点である。ここでは「あじさい型」という運動イメージが登場する。あじさいの季節は、偶然にも本誌の発行時期(前述のように、『月刊民商2004年7月号』から引用)に一致するが、初夏にさしかかる梅雨時である。そこで、あじさい型というのは、梅雨時のなんとなく鬱陶しい季節、じめじめとしてイヤな気分に陥りがちな時に、人の目を楽しませ、湿っぽい気分を吹き飛ばして明るくするような花のイメージとなる。これを各種の運動に即していうと、あじさい型というのは、人びとの気分が滅入りがちなとき、世の中が暗く湿っぽくなる時期、このときにこそ輝きを放ち、人びとを元気づけるような運動でなければならない、ということになる。

 第二に、あじさいの花は、大輪のバラなどとは違って、小ぶりの花弁の集合である。小さな花が集まって、大きな一輪挿しが似合う花とはまた違った美しさを放っているところに、あじさいの魅力がある。これを運動に即していうと、だれか大物がいて、その指導者の魅力ですすめられる運動や組織ではなく、一人ひとりは小物であっても、それが多数集まって集団、集合の魅力をもった運動となっていること、これがあじさい型のイメージとなる。

 第三は、あじさいの花の色の地域性である。あじさいは、それが咲く地域ごとに、例えば湿度・気温の違い、土壌の違い、日当たりなどの違いなどによって、微妙に花の色を変える。やや紫色の強い花弁、やや桃色系の強い花弁といった違いが生まれるのは、その地域にあった色調で、あじさいは花を開くということを意味している。社会運動にこれを当てはめると、各運動はその地域にふさわしい特色をもってすすめなければならない、ということを意味する。

 こうして、あじさい型の運動とは、①みんなが困難を抱えている時期にこそ力を発揮すること、②多数の集合の魅力を放つこと、③各地域それぞれの個性を持ってすすめられること、という三つの要素をもった運動ということになるだろう

多数を繋いで筏を組む思想

 あじさい型の運動のポイントは、組織論的にいうと、多数の集合をどのように組織するか、という点にある。これは組織者としての役割にかかわることである。多数を組織するとはいったいどういうイメージなのか、という問題といってもよい。これにかかわる比喩的な話を続けると、私がこれまでに出合った例で印象に残っている比喩は、筏を組む思想である。

 激流の川を下ろうとするとき、筏は大木の丸木船(舟では?)とは違った安定感をもつ。その筏の特徴は、竹とか細い木を横に並べて束ねる点にある。つまり、筏を構成するのは、一本一本は小ぶりの細い木や竹の集まりである。これは、あじさいが小粒の花の集合から成り立っているのに共通している。細い木や竹を筏に仕上げるときに最も肝心なのは、木や竹を繋ぎ、横に束ねていくときに縄とか綱が必要になる、ということである。ロープがなければ、細い木を筏に組みあげることはできない。バラバラな細い木のままでは、筏としては役に立たない。一本の縄が細い木々を筏に仕上げるのである。

 一本一本の木をばらばらに取り出してみると、この世の激流を乗り切る力にはなり得ないが、これを縄でしっかりと繋ぎ合わせ、筏の面に組み立てると、その上に多くの人が乗っても激流を乗り切ることができる、多数を組織するというのはこのイメージを物語るものにほかならない。従って、組織者(オルガナイザー)というのは、筏を組むときに必要なロープの役割を担う人だといってよいだろう。

 筏を組むときには、材料となる木や竹はそれぞれ大きさが違ったり、少々歪んだものがあったり、長さもばらばらであったりする。これらの違いをうまく生かし、違いを持ち味に変えて、しっかりとした丈夫な筏に組みあげること、これが筏を組むときに問われる技量である。運動の組織者に問われる力量もこれと似ている。運動に加わる人びとの持ち味はさまざまであって、これを生かすロープさばきが問われるわけである。

・・・(以下略)


 投稿文はこの後、この3つの比喩を社会運動のあり方に絡め、さらに事務局活動にはコミュニケーション的理性が問われることに言及しています。

 紅星が思うに、JCPの地区および県の組織および組織者としての専従にも、二宮教授の指摘は当てはまる面が多いように感じます。

 勿論、思想信条も違う業者の組織体である民商と、思想の面で結集し運動するJCPとは構成員の政治意識が違うのは一面ありますが、「花びら型の組織」「あじさい型の組織」に地区党や県党は成れているのか?専従は「筏を組む思想」で組織運営にあたっているのか?

 全国の地区・県党そしてそこで組織者として従事する専従の方々に、再検討を願いたく、今回の記事とさせていただきました。




 以上、今宵はこれまで、したっけ、また今度☆

 ※余談:この記事が本当にアップされたのは、4/7(水)22時52分ですが、気分的な理由で、敢えて4月6日の記事とします。

 
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