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幸徳秋水から見た中江兆民:『兆民先生行状記』その2

 前回から始まった『兆民先生行状記』、今回は中江兆民氏の事業の成り行きと、兆民氏の自宅での過ごし方についてのところを訳してみました。



【原文】
 先生金儲の手始めにとて、去年札幌に紙問屋の看板を出し、今年更に北海道山林組なる名目を同処に掲げぬ、されどなお準備中に属して、利得の我手に入来るは中々遠し、今年九月頃にも至らざれば十分精細なる見込は立ち難しとて、今日一家舊(もと)の如く貧乏なり、客月大阪より帰られてより直ちに北行すべき筈なりしも、金銭の都合思うように運ばざるより、北海道よりは櫛の歯を引くが如き電報の促し来るにも関せず、二三日四五日と延引し居らる。

 先生も令閨も、長の歳月貧乏には慣れられたれど、今度の如きは珍らしといえり、さもあるべし、今迄は新聞雑誌の原稿料毎月多少の収入はありつれど、去年の秋以来、所謂金儲けに着手せられてよりは、収入というは借金ばかり、段々押詰りし大節季には廻しきれぬ火の車、焔飛散つて眉を焼くような騒ぎ、それでも先生は平気なれど、家賃を始め米屋酒屋其他の時借の督促に直接の衝に当たらるる大蔵大臣たる身の心苦しさ、あてにもならぬことをあてにして、山仕事なぞを被成ずとも、翻訳なりとして直ぐと目に見えた事にて、少しは家の会計を安めて貰いたしと、度々の諫言申し上ぐれど、われに成算ありとて、のんきの××は更に採用なし、客月に至りて終に衣類の大かたに質庫に閉されしは論なく、所蔵の漢籍十箱程も惜しや二束三文に売り払われぬ。

 先生の筆不精なる、新聞に従事せらるる折すら、気の乗りし時の外は筆を執らるること月に三四度には過ぎざりし位なるに、まして文壇を退かれしよりは、手紙書くことの外に硯箱更に見向きもやらず、かほどうるさがられて、よくも今迄に夥しき翻訳著述せられしことよ、いと不審し、されど読書を嗜まるるは煙草の止められざるが如し、蔵書売却せられて後は「何か見る物はないか、書物がなくては寝就かれないから」と始終に予の室に来たりて書籍探されしも、二三の詩集持行かれし後は、借本にて事を足す予の事とて、元より差出すべきものもなきに「お前もないなァ、何でもいいから」と、つまらぬ物に満足して行かるる様、気の毒に覚へし。

 二三年前迄は一領の洋服をも有たれざりしが、第一期議会の時初めてフロックコートを新調せられて後は、洋服の歩行運動に便なるを愛せられしものの如く、厠を出て手を洗わざる人が、存外着替ゆる時の煩わしきをも構わず、外出の時は大抵洋服を用いらる、当年の印半纏脱棄られしも、古机に向ひし兆民居士に非ずして、実業家の中江篤助となったる自然の影響なるべしと取沙汰する新聞屋は「かく度々車賃に差支ゆる時には洋服に限る」といひ居らるるを心付かざるなるべし。

 梅花匂へども彤雲尚厚し、先生家居の折はいつも「メリヤス」の「シャツ」の上に広袖の布子を白浴衣重ねて着下し、木綿の三尺帯腰にまきてブラブラせられ居れり、予を尋ね来れる一友人、玄関にて先生を瞥見して、博徒の頭領の様だナと言いぬ、見慣れぬ目には左思ひしなるべし、或る時は椽側の日に背を曝して売残したる洋書を繙(ひもと)き、或時は令嬢令息を敵手にあどけなき談話を楽しみながら、庭面を逍遙して池なる鯉に麩を飼い、或時は来客と酒斟かわし、或時は鍬を手にして家の後なる菜園を耕やさるる様如何にも気楽そうなり、先生常に「予は筆を執るよりは鍬を把ること夐(はる)かに好きなり」と言われたり。

 来客も以前のように繁からず、政治家文人極めて稀れなり、一二の北海道に縁故有る人、其他旧来の親交ある人々のみなり、就中田口留七といえる商人、日夜に出入りして酒斟かわせり、こは今度北海道へ同行する筈の由なり、行往動作中々如才なき人らしく見ゆ、此人酒量は余り強からざるにや、常に蹣跚(よろめく)として智章騎馬の様あり。



【紅星訳】

 (兆民)先生は金儲けの手始めとして、去年札幌に紙問屋の看板を出し、今年は更に北海道山林組という名称を同所に掲げた。しかしまだ準備中といえる状況で、利益が手元に入って来るのはなかなか遠い。今年の九月頃にもならなければ十分詳しいといえる見込は立ちにくいということで、現在も一家はもとのように貧乏である。
 先月大阪から帰られてからすぐにでも北に向かうべき筈なのだが、金銭の都合が思うようにつかないため、北海道からは次から次へと絶え間なく電報の催促が来るのも関せず、2、3日、4,5日と引き延ばしておられている。

 先生も奥方も、長い貧乏暮らしに慣れっこのところもあったが、今度のようなのは珍しいと仰った。それもそうだろう、今までは新聞や雑誌の原稿料で毎月多少の収入があったが、去年の秋以来、いわゆる金儲けに手をつけられてからは、収入といえば借金ばかりで、段々と押し詰まって大晦日には廻しきれない火の車となって、焔が飛び散つて眉を焼くような騒ぎ。それでも先生は平気なのだが、家賃を始め米屋、酒屋その他の借金取立てのの督促に直接交渉に当たられる大蔵大臣(奥方)の身の心苦しさ、あてにもならないことをあてにして、山仕事などをなさらずとも、翻訳業なりしてすぐに収入に結びつく事をして、少しは家の会計を安定させて頂きたいと、たびたび諫言を申し上げても、「儂に成功する見込みがある」と、のんきの××は更に採用せず、先月になり、ついに質庫に入った大方の衣類は言うまでもなく、先生所蔵の中国の書籍十箱ほども、惜しいことに二束三文に売り払われてしまった。

 先生の筆不精は、新聞に従事されていた時も、気分が乗った時以外は筆を執られるのは月に3,4度も無かった位なのに、まして文壇を退かれてからは、手紙を書くことのほかに硯箱に見向きもせず、このように煩わしくされて、よくも今までにおびただしい翻訳や著述をなされたものよ、と大層疑わしいものだ。
 されど読書を好まれるのは煙草が止められないようなもので、蔵書が売り払われてから、「何か見る物はないか、書物がなくては寝つかれないから」としょっちゅう私(秋水)の部屋に来て書籍を探されるのだが、2、3の詩集を持って行かれて後は、借本で用事を足す私の事だから、元より差し出す本もないところ、「お前もないなァ、何でもいいから」と、つまらぬ物に満足して行かれるさまを見ていると、気の毒に思えてくる。

 二三年前までは一着の洋服も持っておられなかったが、第一期議会の時初めてフロックコートを新調された後は、洋服の方が歩きやすい事を好まれたようで、厠を出て手を洗わない人が、意外と着替える時の煩わしきをも気にせず、外出の時は大抵洋服を着用されている。「若い頃の印半纏を脱ぎ捨てられたのも、古机に向かう兆民居士ではなく、実業家の中江篤助となった自然の影響であろう」と取沙汰する新聞屋は「こうも度々車賃に差し支える時には洋服に限る」と先生が言って居られるのを気づかないらしい。

 梅の花が香る季節になったが赤い色の雲はなお厚い。先生は自宅に居られる時はいつも「メリヤス」の「シャツ」の上に袖の広い木綿の綿入れを白浴衣に重ねて着て、木綿の三尺帯を腰に巻いて家のなかをブラブラしておられる。私を尋ねて来たある友人が、玄関で先生をチラッと見て、博徒の頭領の様だなと言った。見慣れていないとそう思うのも無理なかろう。
 或る時は縁側の日に背を曝して売り残した洋書をひもとき、ある時はご令嬢ご令息を相手ににあどけない話を楽しみながら、庭をそぞろ歩き、池の鯉に麩をやり、ある時は来客と酒を酌み交わし、ある時は鍬を手にして家の後ろにある菜園を耕やされるさま、いかにも気楽そうである。先生は常に「儂は筆を執るよりは鍬を握るほうがはるかに好きなのだ」と言われる。

 来客も以前のように頻繁でなく、政治家や文人は極めて稀れである。1、2の北海道に縁故の有る人、その他旧来の親交ある人々だけである中、田口留七という商人は、昼夜とに出入りして酒を酌み交わしている。この御仁は今度北海道へ同行する筈である。居住まいや動作、なかなか抜け目がない人のように見える。この人、酒はあまり強くないようでや、常によろよろとして智章騎馬(?)のようである。




今回もネット辞書や漢和辞典の助けを借りて何とか訳して見ましたが…漢文にお詳しい方、これでよろしいのでしょうか???

半信半疑の心持ちで、今後も訳を続けようと思う紅星です。

したっけ、今宵もこのへんで

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シューシャインボーイ、新自由主義を撃つ

在京の民放テレビ局では、テレビ東京がいちばん好きだ。 視聴率競争の最下位をつねに独走し、番外地と蔑称されている。 昭和天皇崩御の際は、特別編成の他局を尻目に、 ひとり孤塁を守り、通常編成で臨んだ。 番外地まけるなBLUESこれにあり そのテレ東の開局45 BLOG BLUES【2010/04/03 22:57】


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