幸徳秋水氏の「無政府主義」への誤解

先週日曜(8日)の午後、「幸徳秋水を顕彰する会」のメンバーで作る「秋水研究会」がありました。

紅星はその会に出たり出なかったりしているのですが、勉強会のあと懇親会をやると聞き、半ば酒に釣られて今回参加しました。

今回の勉強会のテキストは「秋水氏の、獄中からの三弁護人宛の陳弁書」「中村文雄氏『大逆事件の全体像』」および「坂本清馬氏の再審請求のたたかい」の3つでした。

3資料とも紅星にとっては実に面白い資料でして、今回3回に分けてそれぞれその資料を紹介させてもらおうと思います。

最初は「秋水氏の、獄中からの三弁護人宛の陳弁書」。秋水さんの「無政府主義」「直接行動論」というと、右派の人は言うまでもなく、我がJCPの少なくない党員にも眉をひそめる方々が少なくないように思います(現にウチの両親がそうでした)。

しかしこの「陳弁書」を読むと、如何に秋水さんの思想が曲解されて喧伝されているかが良く分かりまして、秋水さんに成り代わり、不肖紅星がその思想の実際を以下に示し、誤解の払拭の一助になればと期待する次第でございます。


【資料引用開始】
※分かりやすいように現代風に紅星が意訳している箇所が多々ある事を始めにお断りしておきます。

獄中から三弁護人宛の陳弁書

磯部先生殿
花井君殿
今村君殿

     東京監獄在監人 幸徳傳次郎

陳弁書要旨

前書き

 「幸徳が暴力革命を起こし」うんぬんの言葉が、この多数の被告を出した罪案の骨子の一つになっているにも関わらず、検事調べにおいても、予審においても、我ら無政府主義者の革命に対する見解も、その運動の性質なども、いっこうに明白になっていないで、勝手に憶測され解釈され、こじつけられてきたために、よほど事件の真相が誤られはしないものかと危ぶむのです。ついては、一通りそれらの点に関する私の考えと事実とをご参考に示しておきたいと思います。

無政府主義と暗殺

 同主義の学説は、ほとんど東洋の老荘と同様の一種の哲学で、今日のような権力や武力で強制的に統治する制度が無くなって、道徳や思いやり・慈しみによって人々を結びつける、相互扶助共同生活の社会を実現させるのが、人類社会における自然な流れであり、われらの自由や幸福を完全なものにするには、この大きな流れに従って進歩しなければならない、ということにあります。

 暗殺者は、その時の事情とその人の気質、そしてその二つが互いに重なった状況によっては、どんな党派からでも出るものです。

(※紅星の呟き:日本の近現代史を見ると、むしろ右派の方が暗殺者多くない?)

無政府主義者とは限らない。いや、同主義者は、みな平和や自由を好むからこそ、暗殺者を出すことは、むしろ極めて少なかった。私は、今回事件を審理される皆様に、「無政府主義者は暗殺者である」とのまちがった考えや見解がないことを心から希望いたします。

革命の性質

 爆弾で主権者(※天皇)を狙い撃ちするのでなければ無政府的革命はどうするのだという問題。

 私たちの革命は、主権者の更迭などには頓着せずに、政治組織、社会組織が根本から変革されなければ、革命とは申さない。
 従来の制度組織が役に立たなくなり勢いなどがおとろえ弱ることが極まった結果、崩れ去って、新しい社会組織が作られてくる作用をいうのであって、社会が進化する大きな転機的な作用をいうのです。もっと正しい意味では、革命は自然に起こるもので、一個人や一党派で起こすことのできるものではありません。

 無政府主義者の革命が実現したとき、皇室をどうするかの問題ですが、これも皇室が自分で決めるべき問題です。皇室は自由に勝手にその地位や繁栄、幸福を保つための道に進み、何らの束縛を受けることはありません。

 とにかくすべての人の自由や平和のために革命に参加する者は、出来うるかぎり、暴力を伴わないように、多くの犠牲を出さないように努めるべきだと考えます。

 ただただ私としては、“無政府主義者の革命とは、直ちに主権者の狙撃や暗殺を目的とするものである”との誤解がないことを望むだけです。

いわゆる革命運動

 革命が自然にことがなるように自然の勢いであったら、革命運動の必要はあるまい。しかし実際に革命運動がある。その革命運動はすなわち革命を起こして、爆弾を投げつけようとする者ではないかという誤解があるようです。
 
 無政府主義者が一般に革命運動とよんでいるものは、すぐ革命を起こすことでもなく、暗殺や暴動をやることでもない。ただやって来ようとしている革命に参加し充分に力を発揮できるよう思想や知識を養い、能力を高めるべく訓練するすべての運動をそうよんでいるのです。

 今、一人の青年が革命を主張したとか、革命運動を行ったといっても、すぐに天皇暗殺者、もしくは、暴動を起こすために運動したと解釈してこれを責めるのは残酷ないいがかりです。

 革命が自然に来るなら運動は無用なようですが、決してそうではない。もし旧制度・旧組織が衰退し朽ち果てる極みにまで達し、社会が自然に崩壊するとき、いかなる新制度・新組織がこれに変わるのが自然の勢いであるかに関して何らの思想も知識もなければ、その社会は革命の新しい芽を吹くこともなく旧制度とともに枯れ死んでしまうのです。

 人間が生きもの、社会が生きもので常に変動し進歩するのをやめない以上は、永久に変わらない制度や組織があるべきはずがない。必ずや時とともに進歩し新しく改められなければならない。その進歩改新の小さな区切りが改良あるいは改革で、大きな区切りが革命と名づけられるもので、私達はこの社会の枯死や衰弱し滅亡するのを防ぐためには常に新しい主義・新しい思想を盛んに主張すること、すなわち革命運動の必要があると信じるのです。

直接行動の意義

 今回の検事局や予審法廷の調べにおいて、直接行動ということが、やはり暴力革命とか、爆弾を用いる暴動とかとほとんど同じ意味に曲解されている様子があるのに驚きました。

 直接行動というのは、欧米では、一般に労働運動に用いる言葉で、労働者のことは、議会を介しての間接運動ではなく、労働者自身が直接に運動しよう、代表・代理を出さないで自分らで押しだそうというのに過ぎないのです。

 議会に頼んで、工場法をこしらえてもらう運動よりも、直接工場主に談判する、聞かなければ同盟罷工(みんな一緒にストライキ)をやる、多くは同盟罷工と同義語で直接行動は使われているようです。

 厳しい不景気や経済恐慌で餓死者が道に横たわるというような時には、金持ちの家に押し入って食べ物を取り上げるのもよいと論じる者もある。また、革命の際において、議会の決議やら法律の協定を待たなくても労働組合ですべてをやっていけばよいという論者もある。これも直接行動と言えるのです。しかし、今直接行動説に賛成したといっても、すべての直接行動、議会を経ない何事でも賛成したということではない。暴動でも殺人でも泥棒でも詐欺でも、みな直接行動ではないかという書き方で論じられるのは間違い。議会は欧米でもいたるところで腐敗している。だから議会をあてにしないで、直接行動をやるというのが今の労働組合の説で、直接行動なら何でもやるというのではありません。その行動をただちに暴力革命であると曲解し、今回の事件の有力な一原因に加えるのは根拠のないことです。

欧州と日本の政策

 以上述べてきたように無政府主義者は決して暴力を好む者ではなく、無政府主義の伝道は暴力の伝道ではありません。欧米でも同主義に対してはひどい誤解を持たれている。あるいは本当の事を知り、それゆえさらに曲解して誹謗中傷しているが、しかし日本やロシアのように乱暴な迫害を加え、同主義者の自由や権利をすべて奪い踏みにじって、その生活の自由まで奪うようなことは、まだありません。

 なるほど無政府主義が危険だから同盟して鎮圧しようということを申し出た国もあり、日本にも、その交渉があったかのように聞きました。がしかしこの提案を行うのは、ドイツとか、イタリアとかスペインとかです。

(※偶然か必然か、この3国に日本を加えたのが、第二次大戦の枢軸国=ファシズム国。秋水さんは見抜いていたのかも・・・)

 いくら腐敗した世の中でも、とにかく文明の皮をかぶっている以上、そう人間の思想の自由を踏みにじることは出来ないはずです。特に申しますが、日本の同盟国であるイギリスはいつもこの提案に反対するのです。

一揆暴動と革命

 たんに主権者を入れ替えることを革命と名づける東洋流の思想から推察して、強力な武力や兵力さえあればいつでも革命を起こし、もしくは、なすことが出来るように考え、革命家の一揆や暴動なら、すべて暴力革命と名づけるべきものだと決めてしまって、今回の「暴力革命」という言葉は出来たのではないかと推察します。

 私が大石(誠之助)や松尾(卯一太)などに話した意見は、かつて暴力革命という言葉を私は使ったことがないので、これはまったく検事局あるいは予審法廷で発明された言葉なのです。

 パリ・コミューンの乱では、こんなことをやったが、それほどのことは出来ないでも貧しき人に暖かい衣服を着せ、飽きるまで食べさせたいというのが、話の要点でした。これとてももちろんすぐに実行しようというのではなく、今のような経済からもたらされる不景気や社会恐慌がもし3年や5年も続いて餓死者が道に横たわるような惨状を呈するようになれば、この暴動を起こしてでも彼らを救う必要が生じることを予想したのです。

 連日の取り調べから察するに、多くの被告は皆、「幸徳の暴力革命に加わった」ということで公判に移されたようです。多くの被告は今、この口実のために苦しんでいるようです。

 検事予審判事は、まず私の話に「暴力革命」という口実をつけ、「決死の士」などという熟語を考え出し、「無政府主義の革命は皇室をなくすことである」「幸徳の計画は暴力で革命を行うのである」「ゆえにこれと考えを同じくする者は大逆罪を行おうとした者に違いない」という三段論法で被告らを責めつけたものと思われます。そして、普段直接行動、革命運動などということを話したことが、彼らを巻き添えにしているというにいたっては、実に気の毒に考えられます。

聞取書および調書の杜撰

 私たち無政府主義者は、普段から今の法律裁判という制度が完全に人間を裁きうるとは信じないのでしたけれど、今回実際にこのようなことになって、さらに危険を感じました。

 第一、検事の聞取書などというものは何を書いてあるか知れたものではない。・・・ ・・・ その後予審法廷において検事の聞取書にはこう書いてあると言われたのを聞くと、ほとんど私の申し立てと違わないところはない(そのほとんどは違っている)。

 その時において予審判事は、聞取書と被告の申し立てのどちらに重きを置くのでしょうか?

《調書について》

 第一に、調書は速記ではなくて、一通り被告の主張を聞いたあとで、判事の考えでこれを書き写し言葉を選んで
質問と応答の文章を作る。調書の文字となって他人が見れば、だいぶ解釈が違ってくる。

 第二は、調書の訂正が非常にむずかしいことです。出来た調書を書記が読み聞かせるが、長い取り調べのあとで頭が疲れ切った時に早口で読み聞かせられるが、十数か所の誤りがあっても、せいぜい一ヶ所ぐらいの訂正がやっと。私などの場合もいちいち添削するわけにもいかず、だいたいならと思って、そのままにした場合が多かった。

 第三には、予審の調べをそれまで受けたことのない者は、予審は下調べだと思って、それほど重要とは感じない。特に調書の文字、一字一句が、法律の条項のように確定してしまうものとは思わないで、いずれ公判があるのだから、その時に訂正すればよいと考え、争わないでそのまま放って置くのが多いと思います。

 私の場合も、ずいぶん訂正もさせましたが、疲れている時など面倒になって、いずれ公判があるからというので、そのままにしたのです。いわんや多数の被告をやです。

 聞取書、調書をいいかげんにしたということは、制度の為だけでなく、私どものこのようなことに経験がないことから生じた不注意の結果でもあるので、私自身は今になってその訂正を求めるとか、(調書の)間違いを申し立てるとかいうことは致しませんが、どうかかの気の毒な多くの地方青年たちのためにお含み置きを願いたいと思います。


 明治43年(1910年)12月18日 午後

   東京監獄監房において

     幸徳傳次郎

【以上、引用終わり】





 


 






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