幸徳秋水さんの名文章をみんなに知ってもらおうと思い立って、図書館で秋水さんの文章を『写経』するたびに、
『秋水さんの文章ってやっぱ凄ぇわ!』
と感じさせられています。
以前のブログ記事で、紅星が秋水さんの記事にハマッている理由として『秋水さん独特の、漢文調の中にも時にはウィットに富み、読んでいて何かクラシック音楽を聴いているかのような心地よさみたいなものを感じる』と書きましたが、うまく伝えられないもどかしさが記事を書いて残った事でした。
そこで、何か秋水さんの文章の魅力について代弁してくれている資料がないかと、色々な本を読み返してみると、塩田庄兵衛さん著の『幸徳秋水』に、まさに紅星の感じるとおりの記述があったので、今回紹介させていただきます。少々長くて恐縮ですが、秋水さんの文章の魅力を端的に表現してくれています。
以下、引用開始
日本文学研究者である旧知のロシア女性が、幸徳秋水の文体を論じた事がある(旧レニングラードの東洋学研究員であったガリーナ・イワーノワ女史の1959年の著書『革命家・文学者としての幸徳秋水』のなかの一章「文体の主な特徴とその源泉」)
−幸徳の文体にみうけられる多くの特徴は古典の教養によるものであって、とくに漢文直訳体がいちじるしい特色になっている・・・・・
幸徳の語彙には、古典にのっている古語と、あたらしい社会生活のなかからうまれでた新造語とが結びついてあらわれている。・・・・・
「志士」(高潔の人)、「仁人」(ヒューマンな人間)といった用語は、そうした用例の一つである。・・・・・
「真理」、「正義」、「人道」といったたぐいの古い儒教的用語は、時代の精神のなかで以前の文脈とはかけはなれた別の意味をもつようになり、日本語として表記される場合には、それと対応する英語の用語の意味をあらわすようになった。
幸徳は、これらの表現方法をできるだけ活用し、その評論や著作のなかに、中国詩文から汲みとったさまざまな芸術的手法をもちこんだのである。かれの作品のなかには、反復、頭語重畳法(アナフォラ:)、結語重畳法(エビフォラ)、対句法といった、さまざまな修辞法が、装飾的でなく、実際的な役割を演じており、思想的な想念を表現するにあたって、それをいっそう完璧なものにするのに役立っている。・・・・・
中国詩文の特色となっている対句法は、幸徳がさかんに用いた文体の一つであった。これは、概念の対比を強調し、文章にリズム感や音楽的なひびきをあたえて、思想表現をはっきりさせるのに役立ち、読者につよくはたらきかけることができた。・・・・・・
幸徳の作品は、かれが日本文学について深い知識をもっていたことを立証している。・・・・・・
幸徳の場合、封建文化にたいするかれの深い愛着は、けっして反動的な性格をもつものではなかった。かれは、伝統的な文体や形式にあたらしい内容をもり込み、それが進歩的な思想の表現に役立つことになったのである。
さらに、幸徳の文体のもう一つの特色となっているのは、西ヨーロッパ文化との接触によるもので、かれの「西欧主義」は、きわめて進歩的であった−
イワーノワは、秋水の文章に次のような賛辞を贈っている。
−幸徳が言葉や文体について要求している事柄は、誰よりもまず自分自身が守っていこうとする問題であった。迫力のあるかれの論文は、理想の深さと鋭さ、そしてがっちりとした論理をもって読者にせまり、自分の考えを説いてやまなかった。内容にこめられた思想性は、卓越した政治社会評論の技能と有機的にからみあい、一行一行が革命的情熱にあふれ、一語一語が誠意のこもった感動を伝えていた−
そして彼女が、次のことばで結んでいることに私も同感する。
−この非凡な政治社会評論家の文体は、たとえその論文に署名がしていなくても、読者の方でそれとわかるほど明白で、他人の追随をゆるさぬものがあった−
幸徳の文章の特徴は、この外国人研究者によってよくとらえられているが、しかし彼にはなお、軽妙な言文一致体(口語体)の文章を操るといった、こんにちあまり表立っていない側面があった。つまり剛速球一本槍ではなく、ゆるい変化球も投げられるピッチャーであった。その見本が「團團珍聞」茶説の執筆である。
以上、『幸徳秋水』塩田庄兵衛著(新日本出版社) 『團團珍聞』茶説 から引用
塩田さんはこのあと、秋水さんの寄稿した『マルチン(團團珍聞)』の茶説(ペンネーム「いろは庵」)を幾つか紹介していますが、紅星はこの『茶説』の数々を読むたびに思わず声に出して笑ってしまい、図書館の司書の人に変人だと思われている節があります。
正直、他にも多数の政治社会評論家や政治小説家(プロレタリア文学者なども含めて)、そしてうちの党(日本共産党)の議員さんの書いた文章なども見てきましたが、この秋水さんの『茶説』が最も面白く、飽きが来ず、しかもためになって大好きです(二番手が小林多喜二さんと不破さんの文章かな?)。
100年も前の文章ですが、訳していて、『早く続きが読みたい』と、図書館にいける週末が待ち遠しい気持ちにさせてくれます。
『週刊平民新聞論説』と並行して『マルチン茶説』も暫時訳してアップしていきますので、乞うご期待です☆



この記事に対するコメント
秋水と兆民
トラバありがとうございます.
維新から自由民権へ.高知県が光り輝いていた時代,高知市は中江兆民を,幡多地方は幸徳秋水を生んだ.この風土・歴史を大切にして欲しいものです.
いま高知市の新堀川がコンクリートで覆われようとしています.中江兆民を育てた街角の記憶が消されようとしています.このことを県知事は軽く考えておられるように思います.